8月7日 小田川決壊(倉敷市真備町)の現地調査

8月7日、西日本豪雨で堤防が決壊して51名の方々が亡くなられた倉敷市真備町の小田川の現地調査に同行することができました。

↑小田川浸水図と調査ポイント

まず、高梁川・小田川の合流点の近くの真備グランド前【地点①】です。国交省は、小田川の氾濫は高梁川の水位が高く、小田川の水が吐けなくなったために起こり、高梁川から小田川に逆流したからではないと説明。その証拠に、小田川の河川敷の木が上流側に倒れていないと説明しましたが、木が倒れるほどの流速はなくても、逆流は起こるはずです。

地元住民の方は、「ここの河原は今回の水害時は樹木で覆われていて、それが洪水の流下を妨げた」と訴えました。国交省は、洪水後に河川敷の樹木を大急ぎで伐採した場所で説明していたのです。河川敷の樹木が洪水と関係ないのなら、大急ぎで伐採する必要があるのでしょうか。これでは、証拠隠滅を図ったと言われても仕方がないと思います。

洪水時、小田川の河川敷は堤防よりも高い樹木でぎっしりとおおわれ、洪水の流れを阻害していました。住民は対策を何度も求めていたにもかかわらず、全く手つかずの状態だったそうです。洪水の後、河川敷の樹木伐採と土砂除去が急ピッチで進められています。河川を堤防で囲めば土砂が堆積するので、それを撤去するのは当然です。河川管理で最も大切なことがなされていなかったわけです。

↑伐採作業前の小田川河川敷(箭田橋上流)

次に、末政川(小田川の支流)の堤防決壊現場【地点②】です。末政川の両岸の堤防が決壊し、仮復旧が終わっていました。当局の説明では、越流により決壊したということでしたが、付近の住民の方の証言を聞くと、末政川の堤防右岸の住宅地の水位が(上流の小田川の決壊により?)上昇し、それが末政川に流れ込んで堤防が壊れたと、動画を見せながら説明してくれました。

次の、高馬川(小田川の支流)と小田川の合流部の堤防決壊現場【地点③】(3k400)では、合流部の高馬川橋梁の直下流の小田川左岸の堤防が、100mにわたり決壊していました。合流部の高馬川の両岸も破堤していましたが、小田川の水が高梁川にはけきれないのと同じで、高馬川の水が小田川にはけきれないために起きた破堤だと思われます。また、大熊孝氏のその後の調査で、小田川支流の堤防上端の高さが小田川の堤防上端の高さより低かったことが分かりました。高馬川の堤防は小田川と同じ高さにしなければ意味がありません。以下は推測ですが、①小田川があふれる前に高馬川があふれ、堤防が決壊した。②高馬川の決壊で小田川の水が激しく高馬川に逆流し、その後の小田川の大決壊につながった、とも考えられます。今後の検証が必要です。

次に、真備町尾崎の堤防決壊現場【地点④】(6k400)です。ここも、内山谷川という支流との合流部の下流側の小田川の堤防が50mにわたり破堤していました。

↑破堤位置図(国交資料)です。

●小田川・高梁川改修の経緯と今後の改修計画
国交省の河川整備計画によると、明治時代まで高梁川は小田川合流部付近で2つに分かれ、西側の分流に小田川が合流していました。これを明治40年に始まる河川改修で高梁川を1本にまとめ、小田川は東側の分流に合流させ、現在に至っています。

↑明治30年の小田川・高梁川合流点付近(大熊孝氏提供)

↑小田川・高梁川付け替え計画(国交省資料)

現在の小田川は、洪水時に高梁川の合流点水位が高いことから、高梁川の水が小田川に回り込み、小田川の流れが阻害され、小田川の水位が高くなる特性を持っています。このため合流点付近の真備地区では、過去何度も浸水被害を受けてきました。

そこで、小田川が高梁川と合流する位置を現在より約4.6km下流に付け替え、洪水時の水位を大幅に低下させる工事が、今秋より予定されていました。それは、小田川を明治の改修以前の西側の分流に戻す計画で、河川整備計画によるとピーク時の小田川の水位は約5m低下し、今回の被害は防げたと考えられます。

この合流部の付け替え計画は50年も前から存在していたにもかかわらず、またその用地の大半は買収の必要のない貯水池等であったのに、なぜ現在まで着工に至らなかったのでしょうか。

1968年、旧建設省は高梁川総合開発事業(柳井原堰建設)の構想を発表しました。水島コンビナート等の水源開発のために、小田川付け替え完了後の合流部付近に堰を建設する事業で、1997年に国交省は事業に着手しました。

↑柳井原堰予定地(東洋経済記事より)

ところが、水需要の低下などを理由に2002年、国交省は高梁川総合開発事業の中止を決定。小田川の治水対策は事実上振り出しに戻りました。

その後、2007年に小田川付け替えを含む河川整備基本方針が、2010年には具体的な河川整備計画が策定され、2014年にようやく国交省の予算がついたものの、この間、小田川の治水工事は部分的に細々と行われるだけでした。今秋から始まる抜本的な工事の直前に、今回の豪雨が襲ったのです。

今回の災害直後から、国交省は急ピッチで小田川の河川敷の樹木伐採や土砂撤去を行っています。一度災害が発生すると対策が急速に進むことは、裏を返せば災害が起こるまで対策は進まないことを意味します。

●まとめ
①小田川流域は過去に何度も浸水被害を受け、今回の被災は十分想定されていたものではなかったのか。また、1989年の高梁川水系工事実施基本計画に小田川・高梁川合流部の付け替え計画は位置づけられていたにもかかわらず、高梁川総合開発事業があったためか手付かずの状態だった。利水計画と切り離し、付替え工事を先行させることはできなかったのか。
②合流部の付け替え工事とは別に、河川敷の樹木の伐採やたまった土砂の撤去、小田川支流の堤防整備等はできたはずである。できる対策から先行して進める、つまり防災対策は優先順位を常に考える必要がある。

【おわり】

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