阿蘇・立野峡谷の柱状節理が国の工事で破壊された問題で、様々な報道がなされています。その中で「復旧か景観か」とのタイトルで報道がなされている件についてです。
1.破壊された柱状節理は、ただの「景観」ではない点
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界ジオパーク」に指定されている阿蘇ジオパークの中で、立野峡谷は重要なジオサイトの1つです。この柱状節理は、阿蘇や立野峡谷が形成された過程が良くわかる、貴重なジオサイト(地質上の見どころ)であり、後世に残すべき貴重な地質遺産でした。九州が南北に引っ張られることで、阿蘇外輪山が落ち込んで立野火口瀬ができました。その後、中央火口丘からの約6万年前の溶岩が固まってできたのが、この立野溶岩の柱状節理です。
立野火口瀬が立野溶岩でふさがった時は、白川の「鮎返りの滝」と黒川の「数鹿流ヶ滝」は1つの滝として、立野駅の西方にあったと考えられます。その後、数万年かけて浸食され、2つの滝は今の位置まで3㎞以上後退しました。その浸食された跡に、立野溶岩の柱状節理が見えるのです。そして、まさにその浸食された場所に、巨大ダムがつくられようとしているのです。
破壊された柱状節理の約1㎞下流の立野ダム本体予定地右岸でも、広大な柱状節理が見られます。ここでは、柱状節理と板状節理が交互に何層も堆積しており、立野溶岩が何度にも分かれて流れてきたことが良くわかります。立野ダム本体工事が始まればこの柱状節理も、幅200m、高さ90m、厚さ最大40?にわたって削られ、永久にダム本体のコンクリートに飲み込まれます。これらの柱状節理は、ただの「景観」ではなく、学術的にも貴重な、後世に残すべき地質遺産なのです。
2.「景観」をとるか「復興(阿蘇大橋の再建)」をとるか、という問題ではない
この柱状節理の少し上流に新阿蘇大橋の橋脚ができるようです。しかし、このあたりの両岸は火山性の堆積物で、下に降りる道路が容易にはつくれません。唯一、岩盤で下に降りる道路がつくれたのが、破壊された柱状節理の岩盤であったと考えられます。しかし、新しい阿蘇大橋の位置も工法も、一般の住民が知らないうちに決められ、新聞に発表されました。新阿蘇大橋の位置や工法を決める段階で、多方面の意見を求めていたならば、柱状節理を破壊しない位置や工法が考えられたはずです。
この柱状節理を見ることができる長陽大橋や対岸(南阿蘇橋側)は、熊本地震後これまで立ち入り禁止とされ、この地質遺産の破壊を長陽大橋の開通まで住民は知ることができませんでした。また、立野ダムの事業者である国土交通省は、熊本地震で周辺の地盤が大規模に崩壊し、活断層も走るなど、立野ダム建設に対して多くの不安や疑問の声が上がっていたにもかかわらず、これまで住民が求めてきたダム説明会を1度も開かず、住民の公開質問状にも全く答えようとしません。
このような、住民に知らせない、住民の声を聴かない、住民の疑問に答えない、住民が知らない(見えない)うちに貴重な地質遺産を破壊する、という国土交通省の姿勢こそが問われるべきです。
詳しくは、ブックレット「阿蘇ジオパークに立野ダムはいらない」(出版元:花伝社 A5判88ページ 定価:864円税込)をぜひお読みください。今回破壊された柱状節理の写真を表紙にしています。「阿蘇ジオパークに立野ダムはいらない」で検索すれば、各通販サイトで購入できます。