人吉市大柿地区を訪問
【住民参加なしで進む国・県の治水計画に翻弄される、被災者の生活再建(2)】
2022年5月13日、人吉市大柿を尋ね、被災と現状についてお話を伺いました。
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球磨川は、人吉盆地中に降った水を集めた後、盆地の西の端から狭い峡谷へ流れ出し、八代海へと向かう。
大柿地区はその盆地の西の端、一挙に川幅が狭まる直前の球磨川左岸に広がる、半円形の沖積地だ。
元区長で、現在は避難先に下原田仮設団地自治会長も務める山上修一さんに、地区を案内いただいた。
大柿地区には約50世帯、100名余りが暮らしていた。
一昨年の水害で全域が浸水し、全世帯が被災。
幸いに1名も犠牲者を出さずに済んだのは、日頃からの地域のつながりだと言う。
7月4日、川の様子に異変を感じた当時の区長が、避難所に指定されていた建物に来たのは、午前2時。
携帯電話でインターネットの水位計のサイトを10分置きに確認し、水位が急速に上昇する様子を黒板に記録した。
午前4時まで確認した時、避難呼びかけを決断。
班長と手分けして全世帯に声かけし、高台の別の避難所に避難を促し、自力で移動できない人は車で運んだ。
人吉市が避難指示を出したのは、ほぼ全員が避難を終えた直後だったという。
大柿は農村地帯で、米や畑などの兼業農家が多く、基盤整備も終わり、整然とした広い農地が広がる。
先駆的なモデル農家を輩出したり、農業機械の共同利用など、集落営農も営まれていた。
肥えた土を活かした米づくりが盛んで、大柿産の米が献上米になったこともあるほどだと言う。
「地域の縁がわ」事業として交流拠点を整備したり、集落で農産加工に取り組んだり、月に1度農産物や加工品のフリーマーケットを開催したり。
地域活動が活発な地区だった。
山上さんは、地区の下流側に住んでいた。
先祖は代々「半農半漁」だったそう。
農業を学んだ後、球磨農業高校の教員として長く勤めた。
地区では、集落営農や地区の農産加工、さまざまな集落活動を牽引してきたリーダー的存在だった。
球磨川のほとりに生まれ暮らし、昔から水害は何度も経験してきた。
その経験から水がどこまで来るのか予想ができたが、最初は家にいても安全だと考え、体調のすぐれない奥さんとともに自宅に留まっていた。
地区の人が何度も来て「もう逃げないと危ない」と説得され、ようやく避難することに。
胸まで水に浸かりながら、奥さんを連れて高台の避難所へ逃げたという。
自宅は天井まで浸水し、全壊指定を受けた。
(写真クリックで拡大)
その大柿地区を遊水地にする計画案が、国と市から正式に示されている。
掘り込み式の遊水地で、洪水時のみ水が流れ込むのではなく、随時水が貯められるように整備される計画。
そのため、地区住民は農地も家もすべて手放し、移転を余儀なくされることになる。
大柿地区は、災害直後の2020年7月下旬、集落の総意として全世帯の高台移転を市に要望していた。
当時は災害直後で、もう二度とあんな怖い思いはしたくないと、住民の約95%が賛成した。
引き堤にして川幅を一部広くし、水害で氾濫した時だけ農業補償をする地役権方式の遊水地であれば、やむを得ず受け入れるとの考えがあった。
しかし、市の対応は厳しかった。
現行法では、移転先の整備やインフラ整備などは公的費用で行うが、自宅再建費用は自己負担。
完成時期も少なくとも5年はかかると説明された。
高齢者の多い住民にとっては負担が大きく、その後要望を取り下げ、住民はそれぞれに生活再建を進めていた。
自宅のリフォームや農地の復旧が進み、数軒が戻り始めていた矢先での、遊水地計画浮上だった。
大柿地区の農地は22ヘクタール。
遊水地の対象は20ヘクタールで、掘り込み式のためほぼすべての農地と宅地が無くなり、コミュニティも消滅する。
当初、地区の中央あたりから下流だけが遊水地となり、残る上流側3分の1ほどの地区は、移転や補償から取り残される計画だった。
これについて、地区が分断されると住民が反発。
すると市は一転して、今年3月の説明会では、大柿地区全世帯を移転・補償対象にするとした。
二転三転する説明への不信感も拭えない。
地区では、高齢化が進む中、ふるさとのコミュニティを残そうと住民で力を合わせ、これまでさまざまなことに取り組んで来た。
移転先や補償額、農地を失い生計手段を失うことへの対応など、詳しいことはまだ決まっていない。
「せっかくここで暮らす決意をしたのに、今さら」との思いと、「高齢化や跡継ぎのことを考えると、補償に応じて良いのでは」との思い。
地区住民の気持ちは揺れているという。
「水害の恐かった記憶が新しく、残るかどうかを決めていなかった災害直後だったら、みんなの気持ちも違っていた。でも今は…みんなそれぞれに悩んでいる」と山上さん。
山上さん自身も、まもなく自宅のリフォーム工事が終わり、大柿地区へ戻る。
今年は2年ぶりに田植えを再開する予定だ。
でも、その先が見えない。
「それでも、私が先に出るわけにはいかんのです。水害直後、大柿を離れたいという人を説得して、全員で集落ごと高台移転しようと呼びかけた一人ですから」。
大柿地区へと続く紅取橋の上から球磨川を見ると、堆積土砂撤去をする重機が数台、川原に見える。
あの日、橋の上流で川は二手に分かれて地区内へ流れ込み、道路は川のようになり、水が家と農地を飲み込んだ。
「ダムについては正直、どぎゃん思いなっですか」。
同行した一人が山上さんにそう尋ねると、うーん、としばらく黙った後、「…山ばどぎゃんかせにゃんですよね。まずはそっちですね」と続けた。
球磨川で国が進める「流域治水」。
気候危機が叫ばれる中、完全に氾濫を防ぐことはできないはずだが、流水型ダムを含め、国や県の計画に納得がいかない住民が数多くいる。
集落すべてを消滅させる、大柿地区の遊水地計画。
誰を何から守るための治水計画なのか、疑問は消えない。
(報告:寺嶋)
<もっと知りたい方へ:参考報道記事>
■集団移転を取り下げ 中神町大柿
(人吉新聞 2020/10/27)
https://hitoyoshi-sharepla.com/news.php?news=3998
※会員登録(無料)で閲覧可
■住民に遊水地案示す 大柿、中神両地区
(人吉新聞 2021/11/08)
https://hitoyoshi-sharepla.com/news.php?news=4943
※会員登録(無料)で閲覧可
■集団移転 迫られる選択 球磨川治水で遊水地候補の人吉市大柿地区
「水害怖い」「愛着」板挟み
(熊本日日新聞 2022年4月7日)
https://kumanichi.com/articles/615812