球磨村神瀬地区を訪問

【住民参加なしで進む国・県の治水計画に翻弄される、被災者の生活再建(1)】
球磨村神瀬地区。

5月13日、熊本県議会県民クラブの 岩田 智子 県議、 磯田毅 県議、 鎌田聡 県議、山本敬晃(たかあき)八代市議を球磨川被災地へ案内した。
みなさん、球磨川豪雨災害の被災状況はすでによくご存知の方々。今回の球磨川視察のテーマは、特に現在流域治水や住民参加の視点から問題となっている事例について、地域住民の方々からお話を伺うことだった。

球磨村神瀬地区、人吉市大柿地区を訪問した後、人吉市山田川や国・県の水害検証の問題について 清流球磨川・川辺川を未来に手渡す流域郡市民の会 の方からお話を聞かせていただいた。
2回に分けて報告する。

■球磨村神瀬(こうのせ)
「球磨川流域住民による再生ネットワーク」の 岩崎 哲秀 さん、区長の假屋(かりや)さんにご案内いただく。

神瀬地区は、川沿いの地区中心部が国道から3.8mの高さまで浸水。
7月4日未明、川内川(かわうちがわ)上流から大量の土砂と流木が濁流とともに押し寄せ、集落に流れ込んだ。
高台のお寺や神社に避難し難を逃れ、園庭に「ヒナン120メイ」「米 水 SOS」の文字を描き、上空のヘリコプターに救出を求めた。
神瀬校区280世帯のうち、31%の世帯が全壊や半壊。支流沿いには140世帯が暮らしていたが、うち79世帯が全壊した。
50-60世帯が、今も仮設住宅で暮らす。

仮設住宅は村内と錦町の2ヶ所に分かれることとなり、被災した住民はバラバラに。
戻れる家もなく、将来の地区消滅すら危惧される中で、避難した住民同士がつながり、いち早く集落再生へ向けた意見をまとめていこうと、災害2ヶ月後には岩崎さんたちが中心となって意見交換会「こうのせ再生委員会」を開始。
神瀬地区と仮設団地とで開催を重ね、昨年からは、神瀬以外の被災者もともに地域再生を考えようと「ふるさと再生の集い」と名前を変えて継続。
計74回を数え、明日の5/14(土)には、神瀬で75回目が開催される。

さらに、意見交換会だけでは敷居も高いからと、「集い」開催日に合わせて婦人会メンバー「神瀬マダム」による炊き出し(まかない)も実施。
会食や弁当配食(集落の男性たち「神瀬ダンディ」が配達)を通して、暮らしの安否確認を続けている。
「ふるさと再生の集い」で出た意見は、住民説明会で伝えたり、要望書や請願書にまとめて提出したり。
住民主導で、いち早い地区再生へ向けた切実な声を届ける取り組みを続けてきたが、村も県、国も対応はそっけない。
十分な説明や対応はなされず、もどかしさは募るばかりだ。
交流活動拠点としてきた集会所や旧小学校校舎も、公費開催された。
現在は神瀬地区に移築されたプレハブの公民館と、被災民家の一部を改修した交流拠点、仮設団地の「みんなの家」で活動を続けている。

今年2月、国道219号線沿いの電柱に付けられた浸水深表示(上の青線)高さは地面から3.8m。そして、現時点で計画されている嵩上げの高さは、下の黄色い線。その差は3mある。
少し高台にあるこの家には、未明から早朝に9台の車が避難してきていたが、いよいよ水が迫ってきたため、タオルなどいくつかの身の回りのものだけを袋に詰め、逃げ出すのが精一杯だったと話す。
現在は家の一部をリフォームし、仮設住宅から神瀬に戻った。本宅はボランティアや地区の人たちで手を入れ、交流や炊き出しの場所などに活用され始めている。
4月半ば、神瀬住民たちで交流イベントが開催された。

神瀬地区に壊滅的な被害を与えた最大の要因は、川内川上流部から押し寄せた土砂と濁流。
その理由を見せたいと、岩崎さんが案内してくれた。

川沿いから続く集落の最上部、大岩地区。
見上げると、霧の向こうの山に茶色い斜面が見えた。
山頂に近い場所から谷底まで、400-500mほどに渡り大規模に崩落していた。
Youtubeに空撮映像が公開されている。

この対策として、国・県は直下の川内川に堰堤を増設すると説明している。

雨の度に崩れ続ける山。
根本的な支流の山林対策は示されず、果たして大丈夫なのか不安の声が強いという。

元々神瀬地区では、球磨川本流や川内川合流点の土砂堆積が以前から指摘されてきた。
本流は、瀬戸石ダムから8km上流のダム湖の最上流部にあたり、流れが弱まる際に土砂が堆積し、河床が常に浅い状態にある。
瀬戸石ダムは、全国でも有数の「速やかに河床掘削をしなければ、堆積土砂による河床上昇により水害被害が拡大する」と指摘されてきた、悪名高いダムだからだ。
神瀬地区中心地は、上流に大規模な山腹崩壊現場がある川内川と、慢性的に土砂堆積する球磨川の、その合流点に位置する。

谷という谷から土砂が流れ、砂防ダムを乗り越えて土砂が流れた。
地区公民館そばの倉庫には、住民の方々から集めた被災直後や復旧の様子が「忘れない」写真展、「伝える」写真展として展示されていた。
岩崎さんは神照寺の住職さん。高台にあり、お寺や隣の保育園には、災害直後、近くの別のお寺と合わせて難を逃れた住民120人が身を寄せた。

神瀬地区では、国や県、村から、嵩上げ計画など将来の地区復興の姿やスケジュールが明確に提示されない状況が、今なお続いている。

中心部の多くの家は、すでに公費解体されて更地になった。
川内川沿いを上ると、両側に空き地になった場所、被災し耕作再開できていない田畑が続く。
災害後、自宅リフォームを終えて地区に戻ってきた家も数世帯あるが、嵩上げ、ジャッキアップなど、今後の予定は見えない。

今年2月、国交省によって国道沿いの電柱に「浸水深」の表示が取り付けられた。
道路から高さ3.8mに取り付けられた青い線と説明書き。

その根元を見ると、高さ80cmほどの位置に黄色いテープがある。
これが現在予定している「嵩上げ予定高さ」と説明されたそうだが、浸水深との差は3m。
あまりにも大きい。

国や県、村が開いた説明会で、岩崎さんらが「この3mの差は何なのか」と質問したそうだ。
しかし、「資料がない」「説明できる人がいない」と交わされ続け、その後も明確な説明はないまま。
他地区と同じなら、川辺川ダムによって本流の水位が下がるからこの程度の嵩上げで大丈夫、ということだろうが、それすらも説明されていない。

川辺川ダムも市房ダムも、国はダムのメリットばかり言うがデメリットについては一言も説明しない、と岩崎さん。
神瀬の被災について、「支流災害だ」と断言する。
本流からのバックウォーターで起きた氾濫ではなく、支流上流部の豪雨と斜面崩落、地形などによって家の軒下まで土砂で埋まるほどの甚大な被害が起きたという。
本流の水位をダムで下げようが下げまいが、この地区の被害軽減にはほとんど影響しないのが実情だ。

神瀬中心地は、これまで球磨川に面した道路のかさ上げや排水ポンプ施設設置がなされていた。
しかし一昨年の水害では全く機能しなかった
球磨川本流のことだけをやっていても、また同じことが起きる、と岩崎さんは懸念する。

宅地嵩上げはどの高さか。どの範囲が対象か。
いつから始まっていつ完成し、いつから神瀬に帰ることができるのか。
支流や山の対策はどうするのか。
国や県、村に、被災者が要望しても答えはなく、質問しても何も示されない。

「戻りたくても戻れない」「戻ることも地区を離れることも決められない」。
先の見通せない、宙ぶらりんの状況を強いられ続けている。

(報告:寺嶋)

(もっと知りたい方へ:参考報道記事)
■住民主体の再生委員会が発足 熊本・球磨村
(2020年10月5日毎日 動画)
https://video.mainichi.jp/detail/video/6197541530001

■「住民戻る日きっと来る」 豪雨被災の集落、再生への挑戦(2021年3月熊日)
https://kumanichi.com/articles/107109

■宅地かさ上げ費用は?高さは?見えぬ集落再生 熊本豪雨から1年半
(2022年1月4日西日本)※有料記事
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/856442/

■宅地かさ上げ高を表示 住民から不安や不満
(2022年2月7日人吉新聞)※会員登録で全記事表示
https://hitoyoshi-sharepla.com/news.php?news=5145


(災害直後の動画)
■7月5日、災害から一夜明けた神瀬地区
https://www.youtube.com/watch?v=J5qe7NsMYGE

■災害から約1ヶ月後の地区の様子
https://www.youtube.com/watch?v=w50ycN_oFjY

【食材寄付は随時歓迎】
再生の集い、神瀬マダムの炊き出しは毎週開催。
食材支援は随時受け付けているそうです。

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