川旅日記 by TOMMYGUN ●1993/4/28(雨)南九州へ 社会人2年目のゴールデンウィーク。南九州へでかけることにした。 目的はふたつ。ひとつは清流で知られる川辺川と日本3大急流のひとつでもある球 磨川の川下り。そして、ふたつめは鹿児島の錦江湾を鯛をつりながら旅をして無人 島をめぐる海賊ごっこ。 そう、これから、ハックルベリー・フィンとロビンソークルーソーになっちゃおう というのである。へへへ。いいでしょう。 予算と行程、地理的な関係から鹿児島空港への往復切符を利用することにした。 鹿児島空港から、列車で北上、熊本県の川辺・球磨川下りへ、その後、再び鹿児島 へ南下して、海に出て、桜島をくるりと回る、そんな大雑把な計画を立てて、横須 賀をあとにした。 羽田発19時、鹿児島行の全日空のジャンボジエットに乗り込んだ時、外は雨。 大揺れの嵐の中、我が機長は鹿児島にみごとにラデイングダウンを決めた。 ベルトコンベアにのせられて出てきたフネとバックを受け取る。まわりで荷物を とろうと待ち構えていたひとびとは、フネの入った大きなザックを見て驚いていた。 えっちらおっちらと荷物をもって到着ロビーをでてくる俺に、目をとめた掃除の おじいさんがたまがっている。でも次の瞬間、こぼれんばかりの笑みをみせて   『すごいのう。これ、しょってきたんか?』 笑いながらうなずいた。 受付のかわいい女の子に   『近くのJRの駅に行くにはどうしたらええんですか?』 と聞くと、   『えーと、あー、もうちょっとで最終のバスがでます!』   『ひょえー、ほんまですか。それはどこから・・・』   『そこでたとこ、すぐです。』   『どーも、ありがとう』 さっきのそうじのおじいさんが俺のバックを一つもって、   『こっちじゃ!』 と走り出した。 受付のおねえちゃんたちもカウンターから飛び出してきて、先導してくれる。   『これこれ!』   『もうすぐ、出発するって』 と俺をとりまく集団が指さすバスに乗り込んだ。 1100円先払いだという。そりゃ高いな。しょうがない、払う。 その瞬間ドアがしまりバスが動きだした。 おじいさんとおねえちゃん達に窓から頭をさげる。 ふうーシートにたおれこんだ。息があがっている。 とバスはいきなり高速道路に乗ってしまった! 行き先は西鹿児島だというアナウンス。あっちゃー!いかん!それは逆方向だ! 今回の旅はまず熊本の川辺川、球磨川をカヌーで下って、それから鹿児島湾で海 賊ごっこ、という予定なのだ。だからとりあえず近くのJRの隼人駅から北を目 指そうとしていた矢先、南につれていかれてしまっているというわけだ。 一時間走って西鹿児島に到着。 そこは・・・夏だった。 外に出たとたん汗がふきだした。Tシャツ一枚になるが、まだ暑い。たまらんなあ。 熊本方面行きの最終列車に乗る。鹿児島湾の北に位置する隼人どまりだ。 列車の中で陽気な酔っぱらい集団といっしょになった。談笑。 その人たちが降りていったあと、僕の手には缶コーヒー、たばこが残されていた。 うーん。おもしろいところだぞ。鹿児島(ここ)は。 隼人駅のベンチで眠りについた。ここから鹿児島空港へはタクシーでちょいである。 とほほ。おやすみ。 ●1993/4/29(雨のち曇り)川辺川へ 隼人駅から始発列車に乗って出発。一路、球磨川中流部の城下町、人吉を目指す。 列車は九州山地を縫って走った。緑のトンネルの中をゆっくり登っていく。 昨日の雨で木々は濡れ、幻想的な世界にまよいこんだようだ。 遠くにもやがかかった霧島連峰が見える。 吉松で人吉行きの列車に乗換え。乗換え待ちに3時間もっかかった。 単線で人口の少ない山間部を走る肥薩線は列車本数が少ない(1日5本!)。 吉松駅の待合室に囲炉裏をかこんだ畳直があったので横になる。 昨日の疲れと睡眠不足のためすぐに眠りに落ちた。 ふと目覚めると人吉行きの列車がホームに。荷物といっしょに乗り込む。 途中、二度ほど列車が後退。きつい傾斜を登る時に用いられるスイッチバックだ。 鹿児島、宮崎(ほんのちょっとだけ)の県境を越え列車は北上。熊本県に入った。 列車が山間部をぬけて人吉盆地にでた。球磨川を渡る。 昨夜の雨で増水しているのか、茶色の濁流で、両岸の川原はみごとに水没。 昼前に人吉に到着した。人吉の町中で球磨川に2つの支流が合流する水の町だ。 荷物をバス停においてブラブラと探索にでた。 駅から真っ直ぐ歩いて球磨川へでる。人吉橋から一本上流の大橋は中洲の大きな 島(中島)をまたいで延びている。中洲に2、3テントが見え、絶好のキャンプ 場となっている。橋の中ほどから下りることができる。車でも河原へ下る事が可 能だ。上の方から、人を満載した川舟が三隻流れてきた。 有名な球磨川下りである。日本の中の激流下りにおいて、その迫力、距離は他の 追随を許さない。小さい舟に人がわんさとのっていて弁当なんぞを食べたりして いる。ちぇ!イイナー。 川を越えて人吉城跡へ。アヒルが草原で寝ていたり、翡翠(カワセミ)が飛び回っ たりと、素敵な場所だ。雨上がりで誰一人みかけない。一人で瑞々しい新緑の 森を楽しむ。幻想的な木立の中でやわらかい一時を過ごした。 本日は人吉で滞在する予定だったが、天候が回復しそうなので、急遽変更して、 川辺川に向かおう。早く出発したくて身体がムズムズしてくる。 バス停で川辺川方面の発車時刻を確認するとあと1時間以上もある。 ひと風呂あびることにした。人吉は温泉の町だ。町のいたるところに温泉公衆浴 場があって料金は一律300円。駅前の銭湯に入浴。 食料を調達してバス停に戻ると五木方面行のバスに乗り込んだ。 途中で元気のいいガキ共がのりこんできた。バスに飛び乗った瞬間、車内を駆け 回り、蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。 落ち着いたガキたちははやくもオレに目をとめ、好奇心いりまじった視線を飛ば してくる。オレはニヤリと笑ってこのガキどもにチョコボールを貰ったりしなが ら遊びはじめた。まだまだ、カヌーでの川下りは珍しいらしく、でっかいザック にフネがちゃんと入っていて、その組み立てたフネで川辺川を下っていくのだと いうとたまがるたまがる。 上田代のバス停でおりる時には、ガキたち10数人がバスの後ろに集まって手を 振ってくれて、まるで映画のワンシーンになってしまった。大照れ。 橋を渡って右岸でフネを組み立てる。今回使用する船はクリーンテックスジャパ ン製のファルトボート『バジャンカ』である。 船名は我が青春のアルカディア号。コバルトブルーの船体布にウッドの骨組み。 全長4メートル。全幅65センチ。重量17.5kg。 遠方の川下りにはいつも用いる事にしている。 僕の所有艇はこの川旅用の『パジャンカ』に海旅用のフェザークラフト社の『K- 1 エクスペディション』、仲間遊び用のアリー『611』の3艇で用途によって 使い分けている。カヌーこそ我が人生の全てよ!とどんどん購入した挙句、借金 地獄に苦しんだれけど、購入したことを悔いたことはない。よっぽど僕にあってる 趣味になったようだ。 パジャンカは学生時代の超貧乏な時に購入したフネで、一番の古株だ。そのぶん想 い入れが強い。当時は寝ても覚めてもカヌーのことを考えて見悶えしていたころで、 カタログを眺めてはいっこうに増加しない貯金通帳の残高を見ては、ためいきをつ くという日々を送っていたのだ。 ある日、あまりにもしげく通ってためにすっかり顔を覚えられた行きつけのアウト ドアショップの店長さんから、   『新しいフネ入ったよう〜、展示用のやつ、組み立ててみる?』 と神様の声がかかった。   『ええ〜!、やったあ〜!』 と、素直に組み立てさせてもらった。 それが、ぼくとパジャンカ(アルカディア号)の出会いだった。 その素晴らしさ、カッコよさに感動し、その場で購入(もちろん24回払い)し、 完成させたまま店長さんとで200メートル離れた僕の部屋に運び入れてしまった という経歴を持つ。 部屋を占拠したパジャンカのコクピットに座って、世界の海や川を行く雄姿を心に 描いて興奮したものだった。コックピットで過ごした時間が、就寝兼ゴロ寝用の万 年ブトンの次に長かったのはいうまでもない。 コーヒーをカップで飲んでニンマリしたり、はてはパドルを取り出して、ロールの 真似事したり..... あの、ニヘラニヘラ笑いと恍惚となった姿を誰にも見られないで本当に良かった。 その後、那珂川、大洗海岸、長良川、十勝川、釧路川、四万十川、三浦半島と僕と 行動を共にしてきた相棒だ。フェチズムと笑わば笑え。たかが道具じゃないか、は いはい、そのとおりでおます。だが、このアルカディア号は僕にとってのトチロー なのだ。かけがえのない友だ。この傷はあの瀬でやられたな、などと声をかけなが 組み上げる。(やっぱちょっとキモチ悪いな) 川辺川は球磨川水系最大の支流で、平家の落人で知られる五家荘の国見岳が水源で、 五木の子守歌で有名な五木村、相良村と南流して人吉市との境に近い相良村柳瀬で 球磨川と合流する。 足下の川辺川は降り続いた雨のために増水し、土色の水が轟々と流れていた。 山深い谷間のこの場所はもう太陽が、山の影に入ってしまい急に暗くなりはじめた。 さあてどうしたものだろう。出発か?野営か? 行く手にも大きな瀬が待ち受けまるで洗濯機のように渦を巻いている。 躊躇していると、組み上げたアルカディア号が語りかけてきた。(本当かよ?)   『ねえ、ねえ〜、行こうよ。船出しようよ!』 出発することにした。 右に曲がりながら落ち込む瀬で、ホールにはまってしまう。ファルトで飛び込みを したかのようだ。揉まれながらパドリング。四方、上から波が落ちてくる。 何とか吐き出されると、スプレースカートが打ち抜かれてコックピットはお風呂状 態になってしまっていた。シーソックのおかげで助かったものの荷物満載でこれ ではなあ。 水だしのため、北相良中学校の裏の河原にヨタヨタと着岸。 もうすでに薄暗い。このグレードでの川下りはこの暗さでは危険行為だろう。 今日はここで野営。本日の漕行500メートル。それでも川辺川に揉まれた体と心 はウキウキだった。明日がまちどおしいぜ。おやすみ川辺川よ。 ●1993/4/30(晴れ)川辺川 田代〜柳瀬 13km 発進!! 5時に起床。早寝早起きが川旅単独行の基本だ。時間に追われる分きざみの現代生 活に鈍ってしまった身体を太陽とともに寝起きする健全な身体に戻さねばならない。 夜明け前というのは一日で最も神秘的な気分にさせられる時間だ。 黎明の中、霧の立ち込める川面をながめながらコーヒーを飲む。頭の奥の奥まで、 大気の気配が満ちてくる。 土手を上がって中学校のグランドに出た。掲示板に   『萌えいづる自然の息吹と共に、    希望と夢を胸にいだいて、早く中学生活に慣れよう −北相良中学校− 』 とある。新入生用の訓示らしい。 『中学』の箇所を『川旅』に置き換えて大声で朗読。 川辺川の水は昨日の濁りは見事に引いてダークブラウンからグリーンの川に変身。 水位も1.5メ・トル低下。それでも水量はまだまだ豊富だ。 暖かくなってからのんびりと出発した。 すぐに連続した瀬が現れた。波が高く怒濤のように頭上から落ちてくる。突破する と、またまたスカートをぶち抜かれていた。2年間耐え抜いたスカートはよれよれ で、ゴムもいくぶん緩んでいてこのレベルでも使いものにならない。ゴムをきつく して、再びスタート。左岸から取水されていた水が戻ってさらに水量が増加。 波のパワーが力強い。天気もよい。暖かい。水もつべたい。 Tシャツに海パンだもんな。水が綺麗だ。風も気持ちいい。 最高だぜ、川辺川!   『うげあ!』 1メートル程の落ち込み。白い波の中へ。バウが水中に潜り込む。 浮上すると前方に大きな岩。かわす。また落ちる。また水中。白い世界。プファー。 瀬を抜けるとアルカディア号はかろうじて浮いていた。橋下に上陸して昼飯にする。 紅茶を煎れ、パンにキュウリ、ハムをはさんで簡単なサンドイッチをつくる。 腹を満たして再び出発。1kmほどいくと川が右へ回りこんだ。すると前方から   『どおおお〜ん』 という地響きが聞こえてきた。川辺川最大の瀬、廻の瀬だ。 うひ〜、いよいよかあ〜。しかし、地図によると手前に堰があるハズ,,,   『!!!!!!!』 いきなり前方の川が無くなった。 パドルが宙をかく。船底を擦る嫌な音。そのまま1m垂直に落ちて白い波の中へ。 バウが水中に潜り込む。堰堤を落ちてしまったのだ。増水のため水がオーーフロー していたのと、廻の瀬の轟音に書き消されて堰の瀬音に気付かなかったのが原因だ。 前方の中洲につけてる。轟音はさらに前方から聞こえてくる。 長い中洲を歩いて偵察にいった。おお、あるある大きな落ち込みだ。下流側から見 ると、まるで小さな滝のようだ。2m程落ち込んでホワイトウオーターのストッパー 波を巻き上げ、さらに1m落ちて大岩に流れが激突している。 むーん。どうするかなあこりゃあー、まあかわして漕ぎ抜けるだけならなんとかな るかなあ。引っ掛かるとヤバイな。 まあ、よかろう泳いでも大丈夫。せっかく九州まできてこの素敵な瀬をポーテージ (回避)するのはもったいない。いっちょ波にまれてやろう。 引き返してスタート。3分流している中で最も水量のある真ん中を選ぶ。瀬の核心 に至る箇所も傾斜が強く、瀬が連続してある。視点が低い上に瀬に揉まれたため、 前方の視界が狭い。 核心部の目印にしていた右分流が滝となって合流してきた。 よしここからだ。とにかく漕ごう。ジエットコースターのように落ちる。   『うひょひょひょひょ〜!オラオラオラオラ〜!!』 白い波に突っ込んだ。瞬間なにも見えない。ストッパーを突き抜けると目前に大 岩が!そこに向かって落ちてゆく。夢中で漕いでギリギリで大岩をかわした。   『やったー、どんなもんでい!!!』 自然、ガッツポーズがでてしまう。(これも見られたくない絵だなあ) 接岸して、堰で傷めた船底を補修しながら   『ありがとう、アルカディア!ム〜ン、チュッ、チュッ!』 と感謝のくちずけ。(実はインナーチューブに空気をおくっているのです)   『よせやい、くすぐったいよ〜』(とアルカディア) もう病気の世界。 これより下流は穏やかな流れで、爽快な瀬が連続するのんびり川下りとなる。 晴れわたった空の下、緑の森と草原の中を川は軽快に流れた。 とっておきのビールが上手い。付近の家々の鯉のぼりも元気よく泳いで、僕に 笑いかけてくる。紫の花が風に揺れている。爽やかな初夏の風。順風満帆。 ●1993/4/30(晴れ)なにやっちょるんじゃあ〜、おんしらあ〜? 相良村深水の境田橋をくぐると右岸に5、6人の子供達が見えた。 小学校高学年ぐらいの年齢だ。 全員、上半身ハダカで、海パン(いや、川だから、川パンか?)いっちょうだ。 そのくりくり頭たちがそろってこちらを見ていた。 手をふってやる。と、ふりかえした。 うーん。なんかよいな。ちかよることにする。ガキ共はちょっとあわてた。 接岸させて声をかける。   『よお・、こんちわ!』   『う、ん、こんにちわ、わ・、ちわ・』 そろわない返事が帰ってくる。   『なにやっちょるんじゃあ〜、おんしらあ〜?』 ありゃりゃ、口からでたのは変形土佐弁である。 1月前に3週間かけて四万十川を旅した時にうつった癖がいきなりでた。   『泳いじょるとー』 中の一人が答えた。変な奴がきたなと警戒している。   『つめたかないんかい?』 と聞くとひとりがはにかみながら、   『冷たかー!でも泳いじょる〜』 あまりにおもしろいガキ達なので、写真でも撮るか。   『撮ってええか?』   『あー、もう一人おるー!!』 と下流の方を指差した。下流の河原ではらばいになって甲羅干していたのが、 ムクリと起き上がった。筋肉モリモリの逞しい少年だ。   『よう!』 と声をかけると、ペコリと頭をさげた。   『ええからだしちょるなー、おんしゃー、柔道かなんかやっちょるがか?』   『ん〜ん。陸上!』 俺の隣に別のひとなつこい可愛いのが来たので、 あたまグリグリしながら、   『おまんも、こんくらいならないかんぜよ!』 とやる。 聞くと、学校の帰りにみんなで泳ぎにきたとのこと。まだ4月だぜ。いやはや。 4月から10月まで、7ヵ月間は川で泳ぐという。1年の半分以上だ。 すげえなあ、南九州は。 一団がアルカディア号を取り巻いてツンツンやりはじめた。   『すげえだろ?カヌーちゅうが、知っとるか?』 と声をかけると、一人が頷いた。   『うん、知っとる〜』   『乗ってみるがか?』   『うん』 答えたチハルという少年を乗せて上流に引いていき送り出す。   『ひっくりかえったらな、わーっといえ!そうりゃ、わしがフネを助ける。    おまんは、適当に泳いで岸へあがれ』 上手いものではやくも流れの中でフネを自在に操り、対岸に渡ったりしはじめる。 それについて群がるように残りのものがを泳いでアルカディアを追いかけた。 次から、次へ交代でカヌー遊び。疲れるとカヌーに掴まって一休みしている。 身体が冷えると河原に上がって石の上に腹這いになって暖をとった。 オレもマネして腹這いになる。うーん。あったかい。 ビールを煽りはじめた俺の袂に2人ばかりやってきた。まだ上級生ほど泳ぎが達 者でないのだろう。名は、可愛い感じの方がユウスケ、線が細くモジモジしいて る方がシュウサクと名のる。はにかみながらいろんな事を聞いてきた。 そのとき、   『ヤルカ!』 と泳ぎをやめ岩を抱いていて暖をとっていたキンニク隆々のタケシが声をあげた。   『ヤルヤルー!』 猿のようなチハル、ひょろっとしたニシが呼応する。 テケテケテーと土手を攀じ登り、道路をとってってーと渡って、川の上に掛かる 境田橋に駆けあがった。川面からの高さは約12m。恐ろしく高い。 上から川をのぞきんこんで、打合せをしている。 なんだ、なんだ度胸だめしか?次の瞬間、   『キョエエエエエエ!』 奇声を発してタケシの身体が宙に舞う。 三秒後、川辺川に水柱が立った。   『うおおお、すげええ!!』 俺の感嘆の声に取り巻きのチビスケ達のシュウサク、ユウスケが自分達の手柄の ように、胸をはって小鼻を膨らますのが可笑しい。   『よし、写真を撮ってやろう』   『ええ〜!ホント〜?』 シュウサクが続いて飛び込もうとしている欄干上のチハルとニシを押し止める。   『まっちー!こん人が、写真ば、撮ってくれると〜!』 防水カメラを取りにアルカディア号にいくと、飛びこんだタケシが丁度川から上 がってきたところだった。   『やるなあ』 と感心すると   『へへへ』  と照れ笑いのタケシ。 こいつも小鼻がフクラんでいる。よいなあ。うれしくなる。 カメラを構えて合図を送る。ファインダーの中のニシが舞い上がった。   『しぇええええ〜!』 と叫んでシエー(知ってる?)のポーズ。 ドッポーン! つづいてくチハル。   『ウキ〜!!!』 と叫びながらなーんちゃってのポーズ。動きまで猿だな、あやつ。ドップーン! はじめてこれを目にした人は我が目を疑うことだろう。その写真が手元にあるが、 どう見ても身投げに見える。これと同じ光景を目にしたことがある。 そう岐阜県郡上八幡の吉田川に飛び込むミズガキたちだ。 嬉しいことに川辺川にもミズガキが生息していたのだ。 ミズガキ達にとって橋からのダイビングは通過儀礼の一つで、これをできる事で、 仲間から一人前の男として認められるのだ。 水からあがってくるガキたちの得意げな顔がたまらない。 やつらは、そこでたまがってアゴが胸につくほど口を開けた俺を見るハズだった。 驚き顔の大人の姿を見て、どうでいっと胸をさらにそらせるハズだった。 そう。だった...である。 現実は、なんとカヌーに乗って流れてきた男はニヤリと笑ったのである。   『おもしろそうだな?どれ、ワシもいっちょうやってみるか!』 ガキドモは騒然。傍らのユウスケ・シュウサクは俺を見上げて、   『大丈夫なの?』 と標準語で聞いてきた。よほど驚いたのだろう。 笑って頷く。心配顔のユウスケとシュウサクに   『おまんらもいくか?』 と誘うとちょこっと困った顔をして、   『ワシらまだ、とべん〜』   『そうか、がんばってとべるようになれよ』 頭をグリグリやって立ち上がった。 それまで、探るような眼差しから尊敬のキラキラ瞳に変わるのを俺は見逃さない。   『とぶと?ほんま〜?』 とユウスケ。頷いた。   『こわいよ』 頷いた。   『高いんだよ。上にいくと』 飛びにいって尻込みした経験が何度かあるのだろう。 笑って頷く。実は僕も経験している。郡上八幡吉田川。 学校橋の欄干につかんで跳ぼうかやめようか30分も逡巡したことがあるのだ。 おまえの気持ちは本当によくわかるよ。ユウスケ。 オサルのチハルにつれられて橋の上に上がった。 先に来て車をやりすごしていた、タケシとニシに声をかける。   『おう、ワシも飛ばしてもらうき』   『ホントスか?』 とタケシ。   『ああ、どこから跳ぶんな?』   『ココ、ココが深いとデス』 なんかオレに対する接し方が変わったようだ。 下を覗く。轟々と川辺川が流れている。 が、・か下である。ちいーと高いな。   『飛び込む時はどうすねばいいんじゃ?』   『うーん、コウ!』 ニシがキヲツケの姿勢をとり、あごをクイッと引く。   『えーと、水に入るまではどんなカッコでもええと〜、ばってん、    入る時はこうやって身体に手をつけてキヲツケせんといかんとです』 ニシを見ながら大将各のタケシが飛び込みの注意を教えてくれる。   『ほうか』   『そうでえす。ほいで、グッとアゴを引いて、川を見るとです』   『ほうか、見るがか?』   『最後まで見んととです。怖がって上見るとあかんとです』   『ふ〜ん。なんであかんが?』   『よく、わからんけどそうするとです』 水に入る瞬間はアゴを引いて身体を固くしろというのだ。 それで、みんなポーズの後、飛び込む瞬間にその姿勢をとっていたのか。 たいしたもんだ。しっかりしている。 この高さで、足から飛び込む場合、あごを引いていないと、ムチウチになった りする。(この夏、郡上などで飛びこんでやろうと計画中の諸氏は気をつけてね) 大きく頷いて飛び込んだ。 水に受け止められる。気持ちの良い感覚。気泡にかこまれながら、明るい水面に 向かって浮上。橋の上にクリクリのボーズ頭が三つ心配そうに並んでいた。 大きく手をふってから背泳ぎ。残りのメンメンも次々に落ちてきた。 川の上で泳ぎながら笑いあう。 ドロンコ遊びに切り換えたガキドモと別れて出発することにした。 少年は少年の世界に。青年(ワシのことね)は青年の旅へと戻るときだ。 岸辺で手を振るワンパクども。ひょうきんチハルが追いかけてくる。 またまた映画のワンシーン。泣けるぜ。さあ、ゆこうアルカディア号。 ●1993/4/30(晴れ)川辺川が死んでゆこうとしている 再び川の旅人へ。川辺川の濁りがどんどん引いていく。 浅瀬では川底の小石がはっきり見ることができる。 左岸から勢いよく滝が落ちてきた。フネを着け水浴。 澄み切った水。爽快な瀬。緩やかな淵。心踊る初夏の風。吸い込まれそうな青空。 川の上の解放感が気持ちいい。五感が鋭敏になり、岩で甲羅干ししているカメや 風にそよぐ草木、生きとし生けるもの全てが表情豊かに僕の中に入ってくる。 会心の川旅だ。 これだけ水量が豊富できれいな川は日本にはもはやいくつもないのではないだろうか。 この川辺川を求めて九州各地からカヌーイストがやってくる。 この川と戯れるパドラー達の笑顔は少年少女のそれだ。 九州人の心優しい気質もるのだろうが、実に人懐っこく優しい。 話をすると、この川の讃歌になる。九州でも屈指、嫌、唯一のゲレンデだという。 この川について語る時、みんながみんな最後は暗い顔になる。 その未来を思い描いて暗澹たる気持ちになるのだ。 この川辺川が死んでゆこうとしている。 悪名高き川辺川ダムの建設が原因だ。 川辺ダム、その言葉が、清流川辺川を愛してやまない人々の上に重くのしかかる。 川辺川の東、球磨郡の高原(たかんばる)台地の向こうに流れる球磨川本流が流 れている。球磨川本流の上流には貯水量4000満トン級の一房ダムや幸野ダム がある。一房ダムができてからの、源流から、川辺川との合流点相良村までの球 磨川本流の歴史はいかに川は滅びるかをわかりやすく検証した川の滅亡史だ。 そのまま未来の川辺川がたどる姿なのだ。一房ダム下流から相良村で、川辺川に 合流するまでの流れはとても清流などとよべたものではない。 川辺川の流路延長は61km、流域面積は533km2 は合流前の球磨川本流の 49km、485km2 をいずれも上回っている。つまり、水量の多い川辺川の 水が実質の球磨川本流なのだ。そこにダムを造ればどうなるか? 子供でも分かる。川辺川と球磨川は日本のどこにでもある普通の川へなってしま う。顔をつけておよぎたくないドブ川へと変貌するのだ。 人吉の観光の二大柱の球磨川下りと日本一の大鮎は廃れてしまう。 川が壊れててゆくメカニズム、また誰が川を壊すのかを知りたければ、福岡賢正 さんの『国が川を壊す理由』(葦書房 定価1550円)をご一読されたい。 答えが題名にあるけれど(笑)これを読んだ上でダムの有用性を説くヤカラがい れば、またその人間が行政を握ってるならば、日本は先進国でもなんでもない。 サルの国だ。それを許す僕等もサルだ。国がやることで悪いことは悪いよと言う こができないならば、人間としての個人としての誇りはどこにあるのだろう。 カヌーが好きで、川旅が好きで、自由が好きで、人と出会うのが大好きで... そんな僕をにわか環境論者にさせてしまう原因は何なのだろう。 知れば知るほど高まる怒りは何故なのか。 握りしめた拳はどこにふりおろされるべきか。 ●1993/4/30(晴れ)工事にいくと金が貰えるんじゃ・・・ 左にカーブすると遠くに柳瀬橋が見えた。信号機もあり、補給がききそうだ。 既に消費してしまったビールに思いがとんで喉がなる。 突然左岸からでいるラインに気づいた。鯉の吸い込み釣りだ。大きく迂回。 左岸に船首をまわすと心配そうなおじいさんの顔。   『すいません』と心の中で謝って頭をさげた。 するとニッコリ笑って、顔の前で小さく手を振ってくれた。 かまわない、かまわないと言ってくれているようだった。 その笑顔に魅せられて、少し下った所でフネを岸につけてそっと近寄っていった。 単独行の常で人恋しいのだ。笑顔を見るとついよっていってしまう癖がついた。   『こんにちは。鯉ですか?』 と声をかけると照れたように笑って頷いてくれた。 共通の話題があると話も弾む。しばし、おじいさんの武勇伝を拝聴する。 上げきれずに川に胸まで入ってしとめた大鰻や大鯉の話を身振り手振りだ語って くれた。しまいにはコレはワシの秘伝だが...吸い込みの極意を教しえてくれる。 カライモに鯉エサをねりこんで固める方法や吸い込みバリの仕掛け方などなど。 有用な知識を由緒正しい熊本弁で説明された僕には3分の1ぐらいしか理解でき なかったけれど、大変おもしろかった。 川辺川の礼讃のあと、ふと地元の人はダムについてどういう考えなのか聞きたく なって、話をふってしまった。それまでの、誇りにあふれたおじいさんの顔が、急 に悲しいそうな表情に変わった。しまった!どうやら僕は触れてはならないものに 触れてしまったようだ。後悔したが、すでにおそく...気まずい沈黙が流れた。 川をみつめたままおじいさんはポツリ、ポツリ、語をついでいく。 『ダムはまだできちゃおらん。今、ダムに沈む旧道の代わりになる道路をつくって  おるよ。あれができてからになるんじやろの。ダム本体の工事は。  山の・か上の方に立派な道路を造っとてな、あげなとこまで沈むんじゃろなあ...  みんな子供の頃からこの川で育ったもんばっかりじゃ、ダムなんかでけてよかと  おもっとるやつなんかおらん。ばってん、工事にいくと金が貰えるんじゃ。  わしら、孫たちが帰ってきてねだられてもあげられるもんがないと、嫌々ながら  かよっとるやつが多いな』 それまで、川と釣りのことを目を輝かせて語ってくれたおじいさんが小さくなって しまったように感じた。凄く悲しい。ふと気付くとすっかり辺りは薄暗くなっていた。   『今日はボーズじゃ』 照れ笑いを浮かべて太いミチイトを空き缶に巻き取っておじいさんは帰り仕度を始 めた。自転車をおしながら、何度も僕を振り返りながら去っていく。 歩いて柳瀬橋にでるとガソスタンドとスーパーがあった。食料を補給し野営。 焚き火を起こしウイスキーをあおる。沈んだ気持ちが戻らない。 久々にウイスキーの苦さが喉にこたえた。昼間出会ったミズガキ達の顔が浮かぶ。 日本の川が健全だった頃、川は子供達の遊び場だった。 いまの日本の失われた川でこの川辺川のような光景を見られるとろがどれぐらい 残されているのだろう。かれらの遊び場はどうなってしまうのだろう。チハルが、   『轟々流れる川も好きやけど、水が少ない時がもっと好いとー、    橋の上から川底まで見えっし、魚もいっぱい見えると〜』 と言っていたのを思い出した。普段の時はもっと澄んでいるという川辺川の実力。 おとしより達の誇りや心の支えも川辺川とともに滅びようとしている。   『人にはお金にかえてはならないものがあるんだよ。かけがえの    ないものが..お孫さんにはお金じゃなくてこの川を残せばい    いんだよ。お金は右から左に消えていくだけだよ。この素晴ら    しい川を孫や、曾孫、僕等の子孫に残せばいいんだよ...お    じいさん.....』 焚き火の上に雨粒が落ちて来た。炎が消えるまで雨に打たれ続けた。 ●1993/5/1(雨のち曇り)川辺川 柳瀬〜人吉 6km 発進!! 朝から雨。夜半から降り始めた雨は勢いを強めたり、弱めたりしながら、テント のフライをパタパタ叩く。テントから顔を出して雨だれでできた波紋だらけの川 面をぼーっとみていた。通学の小学生達がカラフルな傘やカッパ姿で対岸の道路 を歩いて行く。間抜けな顔をした僕に気付いて   『おーい』   『おはよー』 と大声で挨拶してくる。通る度に律儀に答えていたら声がかれそうになった。 雨は小雨になったが腰があがらない。気分ものらないし、なによりいけないのは、 夜明けすぎに読み始めた本がよろしくない。面白すぎるのだ。 キースピータースンの『裁きの街』である。創元推理文庫の事件記者ジョン・ウ ェルズのシリーズの最新作だ。人の嗜好は千差万別だから、僕にとっては良い本 であっても他の人は悪い本かもしれないので、薦められないのだけど、本当に面 白かった。僕の大好きなヒロイン、ランシングが大活躍でありましてとまらない のであります。 雨の停滞日にこんなヒットな小説にありつるなんて気分はもう幸せよーでありま して、前夜の落ち込みをドーンと吹き飛ばしてくれたのです。たった一冊の本が こんなにエネルギーをくれるなんて。うーん。凄いな。 本を読み終え、昼食をとる。雨足が弱まり、明るくなってきた。こんどは出発し たくてムズムズしはじめてしまう。ここで連泊するにはあまりにも眺めがよくない。 少しでも移動しよう。 パッキングして出発しようとすると朝の小学生の下校時間になったらしく、遠くで   『ただいまー』 の叫びが響きはじめた。慌てて出発。よかったよかった。 昨夜の雨で水量が若干上昇。川幅が大きく広がったザラ瀬もなんなく漕行できた。 ゆるやかに右に折れ、権現橋をくぐると、前方に赤いくま川鉄道の鉄橋が見えてきた。 鉄橋に近づくと左から球磨川本流が合流してくる。 なんと合流してきた流れは文字通り濁流。川辺川の清流と球磨川本流の濁流がぶつ かって水面に一本の線ができている。橋をくぐるといきなり落ち込みがあらわれた。 大きな波立つ瀬が連続で3つ。最後の瀬は流れの中の2つの大岩が立ちはだかる。 右が本流だが出口で岸に思いっきり流れがぶつかっている。左は簡単。流れにのっ て狭い真ん中を漕ぎ下った。汚れるのを嫌っていた川辺の水も、連続する3つの瀬 で、無理やり球磨川本流の濁り水と混ぜ合わされてたちまち濁り川に変わってしま った。川辺川では泳ぎ下ると水中の魚を見ることができるが、球磨川になってから は視界は1〜2mほど、とてもできたものではない。シュノーケリングや川遊びな ら、川辺川で充分堪能すべきた。球磨川本流では面白さは激減する。 夕焼けの中、川に立ちこんでフカシ釣りをしている釣り人に注意しながら、人吉を めざす。厚い雲に西日が差し込んで物々しい空の下を行く。黄昏刻に中島に到着した。 球磨川の広い中洲は多くの車、テントでにぎわっていた。明るいランタンの光にが 乱舞する。集団から離れた橋下にテントを設営した。 何故だか人の多いところに行きたくないのだ。 心が川旅の余韻で浸っているからかもしれない。 元気な時ならばワイワイに参加もできるのだが、今は一人で静かに時をすごしたかった。 俗なもの、人工的な明かり等から遠く離れて。 町中を流れる山田川のほとりにある古風な銭湯を見つけた。古い岩風呂につかっ てホワンとする。ビールでポワン。ポカポカ気分で眠りについた。 ●1993/5/2(くもりのち雷雨)球磨川 人吉〜白石 25km 朝、すっかり寝坊をした。昨夜の古い岩でできた銭湯に朝風呂を浴びにいく。 帰り際にほかほか弁当で朝飯を購入。久し振りに手の込んだメシだ。 チキン南蛮弁当と称するもの也。美味美味。 飯を食って中洲内を散策する。色とりどりのテント、タープ、テーブルにイス。 ちょっとしたキャンプ場のにぎわいだ。ところどころにカヤックがころがって たり、でっかい犬が走り回ったりしている。みんな思い思いのスタイルでキャ ンプを楽しんでいるようだった。 本日の予定は未定。なにしろ5月8日までなにをしても自由なのだ。 しかし、目の前の轟々といく球磨川を目のあたりにしてボーっと過ごすには時間 があまりに惜しい。出発することにする。テントはそのままにして空身で行けば よいのですぐに出航可能だ。この川辺川・球磨川下りは人吉をベースにして川辺 川の廻から人吉、人吉から球泉洞か白石までの2日のモデルコースが組める。人 吉をベースにすれば空身で下れるし、なにより人吉には温泉公衆浴場だらけなの で温泉三昧。加えて、球磨焼酎はうまいし人吉はその名の通り人が吉(良)いし 旅情緒も満点だ。遠方だが、ファルトボート派には素晴らしい場所である。 アルカディア号に戻る途中、いまから出発しようとしている車があったので天気 予報を聞こうと声をかけた。カラフルなウィンドブレーカーを着た髪の毛の長い 女の子がさあ〜?っと首をかしげる。 年は僕より上みたいだけどどこか子供っぽい不思議な娘だ。 辛抱強く待っていると今度は逆の方に首をかしげた。長い髪がフワリと揺れる。 あかん。埒があかん。礼を言ってその場を後にした。 うーん。まあええか。雨が降ろうが槍が降ろうが出航だ。 球磨川は最上川、富士川とならぶ日本3大急流のひとつで、舟運がさかんだった ころは人吉から河口の八代まで76の瀬が連続したと言う。現在は下流の瀬戸石 ダム、荒瀬ダムで分断され、瀬は48に減ってしまったが、その豪快な流れは今 も健在だ。清洌な支流、川辺川の豊富な水量と、まわりの山々から流れ込む清水 で、人吉の生活排水、一房ダムから濁流が薄められ、川下りしても充分気持ちの いい川となっている。 なにより通年観光下りが行われているので、大きな瀬が連続するが、水深もあり、 船底を擦る心配もない。鮎の釣り人もフネが通るのには慣れているし、日本最大 といわれるアユがバンバン釣れるとあっては、キゲンがいい。 カヌーが通過しても罵詈雑言を吐くヤカラは皆無に近い。 瀬のあとには淵があり沈したあとも安全だし、カヌーイストにすれば天国のよう なワイルドリバーだ。 川辺川が水遊びの川なら、さしずめ球磨川は川下りの川といえる。 雲海が立ち込める空を仰いで船出。 球磨川は渡までは大河のようにゆるやかな流れだ。両岸に山が迫りはじめ、いよ いよ、急流下りのスタートを告げる熊太郎の瀬が近づいてきた。 ここからは豪快な瀬の連続となる。 釘締めの瀬。水のパワーの強烈さ、波の高さよ。両岸は高い渓谷。・か上を道路 が走る。アルカディア号がポンポン、瀬を飛び越えてゆく。うひ〜、たまらん〜 八貫の瀬。川は鋭く右に回り込みながら瀬の連続。高曽の瀬。男性的でキッパリ としている。球磨橋を過ぎるといよいよ球磨川最大の難所、二股の瀬がお待ちか ねだ。 中洲によってふたつにわかれた流れが落ちながら再合流し、複雑な大波 を生み出している大きな瀬だ。中洲の上流にフネをつけ大きな中洲を歩いて偵察 に行った。 水量は豊富なため底をする心配はない。合流前の右分流に大きな瀬 があったので、そちらにコースをとる。波をかぶりながらいよいよ二股の瀬の大 波に突入。 岩がからまないので、波のパワーは凄いが、危険度は少ない。登り 龍のように天空に向かって吹き上げる白い瀬頭をロデオのように越えて行く。 その面白さといったら筆にはできない。是非、ご体験ください ●1993/5/2(くもりのち雷雨)野田....さん? それまでパラリパラリとふっていた雨が本降りになった。雨と波で身体はズブ濡れ。 少々寒い。ガタガタ震えながら次から次ぎに現れる瀬を越えた。 修理の瀬を越えたころには泣きがはいりだしてしまう。   『もう堪能したじぇ〜、カンベンしてくり〜』 と叫びながら、次々と襲い来る波頭をパドルで叩く。網場の瀬を漕ぎ抜けた。 もう大きな瀬はないハズとタカをくくっていると、いきなり大きなストッパーにつ かまった。右岸の大岩に流れが当たり波が空に向かって躍り上がっている。何回か 水没してスカートのコードがぶっとんでしまった。日本の川地図101にある名も なき(実はしっかりあるのだが忘れてしまった)瀬がそれで、増水したときは球磨 川最大の難所になるとのこと。注意されたし。 ホウホウのていでなんとか浮いて岸につけようとすると前方に煙がのぼっている。 その川原には十数艇のカヤックやゴムカヌーがある。 焚き火をかこんで上陸しているグループだった。これはありがたいと接岸して、 焚き火に当たらせてもらって、談笑。すぐにどこからきた?とか、直前の瀬は凄か ったですねなどのカヌー談義に花が咲く。明るい人達で、震えている僕に自動で熱 燗になるカップ酒や球磨焼酎を振る舞ってくれた。焚き火のまわりをトコトコと歩 く犬がいる。 シェパードの血が入った犬でなかなか凛々しい。カヌーイストでエ ッセイストでもある野田知佑氏の相棒『ガク』にそっくりだった。 焚き火にあたって酒を煽る。ふうー生き返るなあ!ふと左を見ると目を真っ赤に充 血させた危なそうな親父が酒を飲んでいる。ずぶぬれだった。ただならぬ圧力を感 じる。やばいやばい、目をあわさないようにしておこう。 焚き火のまわりをチョロチョロと動いている女の子が目に入った。派手なウインド ブレイカーに見覚えがある。今日の出発前に天気予報を尋ねた女性だった。 さっきの犬がその娘の手を軽くかんで引っ張っていこうとする。   『もう〜、ガクったら〜』 ひっぱられながらそのお姉ちゃんは甘い声をあげた。 へ?この犬もガクというのかあ。ん?、、、ンンンン? 左に首を向ける。そこには酔いどれ赤眼親父が、よくみるとそれはまぎれもなく!! 右隣りの人のよさそうな眼鏡のおっちゃんに、   『ひょっとして...』 左に目をやって、右に視線を戻した。   『野田....さん?』 おっちゃんが笑いながら頷いた。ドッヒャー!!!! そのときの僕の驚き方といったら、なかった。そうあの野田知佑氏だ!ホンモノだ! 思わず石になってしまう。 そのとき、憧れの人が口を開いた。   『ねえ、ヘザー、いい川だろう?』 近くにいたソバカスだらけの外人の女性に声をかけた。カナダ人で日本への留学生 らしい。どっしりとしたオシリのドデカイお姉ちゃんだ。   『オモシロカッタヨー。ノダサン。モット、ヤリタカッネー』 ソバカスキャナダ人、ヘザーが答えた。達者な日本語だ。 話を聞いていると、今下ってきた直前の瀬で、野田さんもヘザーさんも沈したらし い。沈した時にオシリが抜けぬけなくって困ったよっと迫力のある腰を振りながら、 ヘザーが答える。   『そうだなあ、ダンサーは君のオシリには小さいよな、でも、ヘザー、大丈夫、 その上に、レスラーというのがあるよ。それならダイジョーブだ』   『フーン』   『それでもダメならアケボノというのがあるから、ダイジョーブ、ダイジョーブ』 一同笑い。どうやら難しい顔をしていた思ったら、そんなギャグを考えていたのだ。 おちゃめな方だ。ぱっとみ天才バカボンのパパだしなあ。 派手シャツネエチャンが僕に気付いたので会釈する。と、声をかけてきた。 全然そんな風には見えないのだが、どうやら、その娘は野田さんのマネージャーだ そうな。名は直田睦美さん。奄美大島から鹿児島にやってきて、野田さんのマネージ ャーに就いたという。そんなに有名な人だとは知らなかったらしい。 キョラムン(島美人)の特徴である濃い眉毛、野性的な瞳でお色気たっぷりだが、 どこかポーっとしているアンンバランスさが、実際の年齢より幼く見せる。 この一行が神奈川県の相模川河口堰反対の会の人達で、野田さんがここに招いたと と教えてくれた。どうやら、僕のすぐ前を下っていたようだ。 直田さんと話ていると、向こうで、単独でやってきた僕の事が話題なっていた。 ひっきりなしに喋り続ける直田睦美さんにあいづちを打ちながら、耳は野田さん達 の方に集中してしまう。どうやら単独行を褒めてくれているようだ。 焚き火にあたりに行くと、氏に人吉に住まないか。いいぞ。と勧誘されてしまった。   『人吉市から助成金もでるよ、いいぞ』 氏は放浪青年を捕まえては地方に定住させるのが最近の趣味とのこと。おいおい。 うーん。けど、そそられるなあ。酔っぱらってチドリ足の野田さんが、   『ガーク!』 とガクを呼ぶ。が、ガクは直田睦美嬢についていったまま帰ってこない。 ガクよおまえもエサと色気に弱いのであるか。トホホ。 雨足が強まってきた。そろそろ撤収しはじめたので、フネを道路に上げるのを手伝う。 一酒の恩だ。今晩、人吉の中島でキャンプやってるから遊びにおいでと誘われた。 ●1993/5/2(くもりのち雷雨)えー、やっぱりこの川が日本一です 一行を見送ったあと再びアルカディア号に乗り込んで出航。 野田さんに出会ってジーンとしている場合じゃない。 瀬は次々に現れ、雨は土砂降りとなった。まるでスコールだ。頬が痛い。 槍倒の瀬が迫る。アウトコースは流れが轟々と岩をえぐっていた。 緊張が走る。波のパワーで岸壁に押しつけられそうになったが、なんとかクリア。 冒険行にも似た川下りも白石に近づくにつれて、瀬のパワーが落ち、数が減った。 終着。パッキング。よくがんばったたな、アルカディア号。ポンポン。 JR肥薩線で人吉に舞い戻る。人吉駅前の食堂横の駐輪場でカヌーを預かってもら い中島へ。スコールがあがり西日がさしてきた。いいぞ!48瀬とキチンと勝負し 終えた心地よい疲労感と、今夜の酒地肉林の宴の期待で、中洲にむかう僕の足取り は軽やかだ。 中島に帰ってくると、まるで、お祭り前の雰囲気でワクワクしてしまう。 さっきはおいでっと誘ってくれたが、本当にいってよいものダロウカ? 恐る恐る近づいていくと、おっちゃんが笑ってイスにすわるように薦めてくれた。 焚き火の前の特等席。まわりを見ると同じようにつれてこられた若者たちが、しゃ ちほこばって座っている。右には肩までの髪の女性。横顔が美しい。会釈を交わす。 左は声の大きな元気兄ちゃん。斜めむかいが野田さんで既に、酒をのんでいる。 プラスッチックのコップがまわってきて、おっちゃん達がビールを振る舞ってくれ た。後方では竈の炭火が準備バンタンにととのい、はやくも香ばしい肉や魚の焼け る匂いが漂いはじめる。ほっぺたをつねってみたが夢じゃない。よーし、ますます いいぞ。 ガクが他の犬を追い、駆けまわる。野田さんがニヤリと笑って酒を煽る。 なんかTV番組に迷い込んだみたいだなあ。 右隣の女性と再び目があった。ふたりともポカンとしていたのに気付いて笑い会う。 互いにこの宴会にさそわれたいきさつを話しあう。 東京の多摩市からやってきた宮沢友美枝さん。僕と同じくファルトの単独行。 こんな素敵な女性がファルトのバックパッカーをやってるなんてすげえな。 中洲にきたところをゲットされたらしい。明日は地元九州の人達とカヤックで川辺 川をやるとのこと。こんだけ美しいとひっぱりダコなのだろうな。話を聞くと御岳 がホームゲレンデのWWパドラーらしい。旅カヌーも頻繁にやるというからたまら ない。 左からホイホイくいものを回してくれる元気あんちゃんは僕と同じくらい の年で、相模川を守る会の一員でもある岩館さん。 この集まりの説明をしてくれる。 神奈川の相模川大堰反対の会の人達。人吉の川を愛する人達。九州各地のパドラー、 アウトドアショップアメンボのメンバー、それに僕のような飛び入り組みといった 構成のようだ。 辺りが暗くなるにしたがって、焚き火の明かりが赤々としはじめた。 炎の照り返しで浮かびあがった顔、顔、顔の楽しそうなこと。 バベキューで焼き上がった魚、肉、野菜がどんどん回ってくる。 一升ビンの球磨焼酎も回る。酔いも回る。もう顔が緩みっぱなし。 こんな賑やかで華々しいキャンプははじめてだ。 九州の人達のひとなつっこさ。とても、会ったばかりとは思えない。 酒がはいるとますます饒舌になるらしくいろいろ話し掛けてきてくれる。 不思議な暖かさ。全然疎外感をかんじなかった。 盛り上がったところで、自己紹介になった。 遊ばせてもらったみんながみんな川辺川・球磨川にたいする愛着が強く、川の讃歌 とダムの不利益についてコメントが多い。 野田さん、相模川チームは昨日、川辺川上流の五木村を尋ねたようで、その時の 感想なんかも聞くことができた。正調、五木の子守歌がみんなの心を捕らえたらしい。 五木の子守歌はもともとは頭地の守子たちの恨み節だ。ダムで沈み行く彼の地の鎮 魂歌(レクイエム)ように聞こえたという。いつか五木まで足を延ばしてみよう。 地元人吉の人の昔の球磨川の話が興味深い。球磨川も以前は川辺川と同じ透明度で 町中の橋からも淵の底まで透き通って見え、子供たちが泳いでいたという。 照れて一言もでない小中学生。地元の先生の川の話。 にぎやかなに自己紹介が進んでゆく。 僕の番になった。 川辺川・球磨川下りの感想。良い川はいつまで残るのか。 野田さんが時間をさいて、長良川をはじめ日本の川を守ろうとしてるけど、 本当は荒野の川を独りで旅することのほうがどれだけ楽しいかとおもう。 などと思いつくまま勢いで喋った。 僕の悪い癖で勢いで突っ走ってしまい論旨を欠くわ、主観だけの発言になってしま った。それでも、心意気は伝わったのかみんな暖かく拍手をしてくれる。 それをうけるような形で野田さんの番になった。   『えー、今日は僕はひっくり帰って、球磨川の水をいっぱい飲みました。    でも、気持ちよかったな。幸せでした。本当。』 僕の大好きな川に、岡田や佐藤、それに、ひごろがんばっている相模川のみんなを つれてきて、息抜きをしてもらおうとおもったんだけど...』   『サイコーだったよー!ノダさーん』 元気兄ちゃんの岩館さんがチャチャを入れる。思わずニヤリの野田さん   『えー、やっぱりこの川が日本一です。みんな、四万十川、四    万十川といってるけど、アレはもうダメだね。ここしかない』 視線を落として...顔をあげる。   『さっき僕がダム反対運動に時間を取られているなんてことを    言ってる人がいたけど僕なんかなんにもしていない。長良川    河口堰反対運動をしているのに天野礼子っていうのがいるん    だけど、彼女は凄いね。本当に凄い。僕なんかただの客寄せ    パンダです。椎名や夢枕漠、いろんな人にパンダになっても    らってるけど...彼女や、ここにいる岡田や佐藤、がんば    っている連中にくらべたらね...    僕なんか遊んでいるだけでね...今日は本当に楽しかった。    いつまでもこの川を残しましょう。まだ、大丈夫です。ぎり    ぎりだけど...あきらめないでやろうよ』 拍手喝采。 宴もたけなわ。バンジョーをもった外人さんが踊り出した。 テンガロンハットにウェスタンブーツ、曲はもちろんカントリー。 ジョンデンバーの『カントリー・ロード』をかわきりにスタンダードのオンパレード。 野田さんをはじめみんなで手拍子、足拍子の大合唱。 おじさん達が少年に戻っていく。炭焼き屋台おじさんをしていた倉重さんが、焚き火の回 りを踊りはじめた。中学生を立たせて後につづかせる。インディアンの変な舞のようだ。 連れられて僕も参加。阿波男の血に火が付いたのだ。 飲んでは歌い、歌っては踊り、踊っては飲んだ。 気づくと野田さんの横に座りこんで焼酎を差しあっていた。 杯が空くと持ち上げるので、焼酎を注いだ。凄いペースだ。 バンジョーの外人さんが坂本九さんの『上を向いて歩こう』を演奏しはじめる。 『スキヤキ』という名で全米No1にランクインした名曲で僕でも歌える詩だ。   『知ってるの?』 口ずさんでいると隣の野田さんが聞いてきた。頷く。   『よし、今の曲、もう一回いこう!』 と野田さんが外人さんにリクエスト。バンジョーの独特な音色が奏でられる。 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す 春の日 一人ぼっちの夜 上を向いて歩こう にじんだ星をかぞえて 思い出す 夏の日 一人ぼっちの夜 幸せは 雲の上に 幸せは 空の上に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら 歩く 一人ぼっちの夜  (口笛の間奏) 思い出す 秋の日 一人ぼっちの夜 悲しみは星のかげに 悲しみは月のかげに 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら 歩く 一人ぼっちの夜   ・・曲名:上を向いて歩こう     出典:'96 あのうたこのうた・・   ・・作詞:永六輔/作曲:中村八大  出版:・ソニーマガジンズ ・・ 過ぎて行った、一人ぼっちの夜たち。いろんなことが浮かんでは消えてゆく。 ふいに熱いものが溢れてくる。上を向くと、夜空がにじんで見えた。 ●1993/5/2(くもりのち雷雨)水は清き故郷   『よーし、いっちょうハーモニカを吹いてやろう』 外人さんからブルースハープを借りて、千鳥足の野田さんが立ち上がった。   『小学校の唱歌ね。なんでもいい。リクエストどーぞ』 野田知佑ハーモニカリサイタルの幕開けだ。   『春の小川〜!』 リクエストの声がかかると   『よし、それ行こう!』 人差し指を立て野田さんが答える。 ハーモニカの懐かしい調べが流れ始めた。 世界を放浪した氏のハーモニカはしみじみとした情感があって心にしみる。 花。背くらべ。こいのぼり。富士山。海。椰子の実。夏の思い出。 懐かしの曲、黄金時代の歌たち。みんなで大合唱。最高の宴になった。 そして、故郷。    兎追いし 彼の山    小鮒釣りし 彼の川    夢は今も 廻て    忘れがたき 故郷    いかにいます 父母    つつが無しや 友がき    雨に風に つけても    思い出ずる 故郷    志を 果たした    何時の日にか 帰らん       ・・曲名:故郷(文部省唱歌)・・    山は青い 故郷          ・ 出典:'96 あのうたこのうた・    水は清き 故郷          ・・出版:・ソニーマガジンズ・・ この詩を歌う時に心に描く光景がある。僕の心にある故郷のイメージ。 それは...水は清き川辺川の光景そのものだ。 人はお金に換えてはならないものがある。 お金も権力も名声も、一人の人間も本当に救うことはできない。 一人の人間も、楽しく、強く、幸せにすることはできない。 それに気がついた時、僕たちの帰る場所、故郷は残っているのだろうか。 酔いどれてテントに向かう途中、川原に倒れこんだ。石が冷たくて気持ち良い。 魚と焼酎の匂いをまき散らして川原でのびていると、   『フハァ、フハァ』 と近寄ってくる生き物がある。軽快な足さばき。なんとカヌー犬、ガクじゃないか。 僕の前方1mで立ち止まって様子を伺っている。 で、トットットッと歩みよって顔をベロベロと嘗めてくる。    うへえーっ!!! 奴も何か変だなあ?という感じで小首を傾げる。    (あれっ?とーちゃんとちがう!) と不思議そうな顔でトテトテトテと離れていく。 少し距離をおいて尻を向けたまま、首だけふりかえってじっと俺を見ている。    (でも、魚と焼酎の匂いがしているのに変だなあ?) と思い直して、首をかしげながらまたまた近づいてきた。 再びベロンベロン。口、目、鼻、顔中嘗め回れる。 くはー、たまらず止めれーと首を掴むと吠え返された。やっと走り去っていく。 おやすみガクよ...とうちゃん(野田さん)ところへ、ちゃんと帰るのだよ。 そのまま爆睡。夜明け前の冷え込みと降り始めた霧雨のせいで目がさめた。 夜露でビショビショになった身体をテントに運んで再び眠りに落ちた。 ●1993/5/3(くもりのち雨) 人吉滞在 本日も寝坊。完璧な二日酔いと、数日続いたパドリングによる筋肉痛に苦しむ。 もう日は高い。天候はまたまた曇りで時折小雨が舞う。今日もはっきりしない天気 になりそうだ。水分をガンガンとって痛む頭をしゃっきりさせた。 本日は休養日にする。昨日、今日の午後、人吉市内を川辺川ダム反対のデモ行進を をやる事を耳にしたので、参加することにしていたが、気配がなく静かだった。 昨日の宴会場を尋ねてみる。 人影はあまりなく、タープの下で野田さんが白髪のおじさんと話し込んでいた。 人吉市七日町の球磨川べりで球磨焼酎の酒造場を営む鳥飼さんである。    『最近、贋のノダトモスケがいて困るんだ、あるところにい     くとみんなノダトモスケはけしからんと言っていてね。訳     を聞いてみるととんでもない罵詈雑言。     で、ノダがコレコレ言ったとなっている。僕は心あたりが     全然なくてね。 どうやら、僕のマネジャーをまかせてた     男が、僕をかったてたらしくてね。 本人は悪気はないん     だけど、どうやら影響されてノダモドキになっちゃたんだ     ね。 あれには本当にまいったな』 と、野田さんの言葉がとびこんでくる。 鳥飼さんがにこやかにうなずいている。    『最近、アウトドア関係者がこぞって外人つれてくるけど、     あれもよくないね。 ニコルはいいよ。アレはホンモノだ     から。けど、ほとんどニセモノだね。 なんでもカンデモ     つれてきてたて祭っるのはよくない...』 鳥飼さんの視線で、背後で固まっていた僕に野田さんが気付いたらしい。    『ああ、もうみんないっちゃたよ、さがしてごらん。町中にいるから』 頷いてその場を後にする。 野田さんの影響力は凄まじい。日本の放浪少年少女、青年淑女の神様のようにな っている。特に川下りをすると疑似体験ができることもあって、氏の考え方、体 験談がまるで自分の事のように感じる錯覚に陥ることがある。自分の意見だと思 っていたのが、実は大分前に読んだ野田さんの文章や考え方の焼直しであること に、後になって気付くことも多い。 たまたま居合わせてたが、さっきの野田さんの台詞はまさに暁光だった。 放浪して自己のアイデンティを確立することは誰かのサルマネをすることじゃない。 何にも属さない個性を体現することだ。自分を取り巻く世界、他人とまっこうから 自我をぶつけ合って試行錯誤の末に培っていくものだ。 第二の○○、第二の××になることでは決してちがう。僕にとっても訓戒だ。   (注:このアホバカ日記はあくまでも僕のプライベートなもので論外です) ふと、昨日の宴の端のほうで、うろうろしていた直田睦美さんの姿が、頭に浮かぶ。 野外生活に今まで縁がなかったらしく、居場所のわからない子猫みたいだった。 だからこそ彼女は、野田さんのマネジャーになれたのかもしれない。    『ダムいらんかね〜!!、30年で埋まってしまうダムいらんかね〜』 町中を練り歩く相模川の先輩たちはすぐ見つかった。 雨の中を、川辺川ダム反対の横断幕を手に人吉の町を練り歩く。 路行く人を捕まえては、岡田さんが、    『ねえ、おじいちゃんこのダムもらってやってよ、安いよ』 と声をかける。今までデモ行進というと、なんだか暗いイメージがあったけど、 (実は、予備校時代国鉄民営化反対や国家秘密法、三里塚闘争に顔を出したことが ある。ヘルメット、手拭いを支給され、顔を隠せと助言された。国家機関が写真 を撮ってブラックリストに載せられるという。綺麗言かもしれないが、それは何 かちがうのではないかと、世間知らずなりの考えがあり、一切隠したりはしなか った。これでは、解決できっこないと諦めに似た気持ちを味わったものだ) このデモ行進はウィットに富んでいて、明るく楽しかった。気負いやてらいがない。 悪いことをしているなんて後ろぐらい思いはまったく感じない。 おそらく、長いドロドロした闘いをくぐり抜けてきた、相模川を守る会の人たちの 知恵とノウハウなのだろう。明るく楽しみながらやる。そうでなくては息が続かない。 雨の中、岡田さん、佐藤さん、倉重さんのかけあい漫才のようなコールが翔ぶ。 岩館さんや僕の若手大声組も声を張り上げてシュプレヒコール。 雨が気持ち良い。ぐるりと回って町中のデパート前で解散となった。 人吉市内の『清流球磨川・川辺川を未来に手渡す会』のメンバーはこれから、勉強 会をやるという。僕はテントに帰ることにした。実は夕べ、鹿児島に里帰りしている 友人の野元伸一に電話をかけ呼んであったのだ。奴は仲間うちで結成した『オラオラ 隊』の潜水班長を勤めていて、野田知佑氏の熱烈なファンなので、来れば逢えるよと 伝えておいたのだ。野元を待つことにする。野田さん、相模川の一行はこれから、 四万十川、口屋内に向かうらしく、三々五々撤収をはじめていた。 タープのテーブルにすわっていた派手シャツ直田睦美嬢に気付いたので挨拶する。 ポニーテールのしっぽがふわりと揺れる。これから、高知へ運転して行くとのこと。 あまり運転はしたことないと言う。なんか、不安だなあ。 話てみるとこちらが心配するぐらい世間知らずなところがある。 大丈夫かいや、といらない心配を抱いてしまう。 そのうち話が、恋愛関係の身の上ばなしになったので、少し、ぐったりする。 九州は男尊女卑の風潮がまだ根強く女性は大変だとの愚痴。 元気だしなよ。おねえちゃん。女は度胸と可愛げだ。 僕が友人が出発前に到着できるかどうか心配していると、いっしょになって心配し てくれる。根は優しい女性のようだ。キースピータースンの『裁きの街』を餞別代わ りに進呈。ランシングみたいなかっこいい秘書役になれるといいね。 野田さんがやってきて車に、アヒルやガクを載せ始めた。 ついに野元はまにあわなかったか。 最後に野田さんに別れを告げにいく。 と、いきなり緑のカッパを着たパッカー姿の野元が現れた。    『おっ、とみうち〜、おったか〜』 いつもとかわらない笑みを浮かべた野元がいた。    『おお、野元か、後ろ、後ろ』 と指差す。野元が振り替える。そこには眠たげな野田さんの姿が。 野元が固まってしまう。カチンコチンだ。俺も経験済みなのでやつの気持ちが、よ くわかった。もう車のエンジンはかかっていて、野田さんが乗り込もうとした瞬間だ った。たのんで記念撮影してもらう。ノモやんVSトモやんの一瞬の邂逅であった。 二人で一行の出発を見送った。 再会を祝って野元とビールで乾杯。風呂あがりの一杯が答えられない。 さしいれの球磨焼酎を湯割りでのむ。久し振りの友との再会に杯がすすんだ。 本当なら野元と鹿児島の錦江湾で桜島をぐるりと回りながら、無人島で野宿して、 鯛を釣ったり、露天風呂につかったりの海賊ごっこをやる計画だったのが、川辺川 ・球磨川に惚れ込んでしまった僕のもう一回下りたいと言うわがままに快諾してく れて、わざわざ人吉まで、ファルトを背にやってきてくれたのだ。 僕の川下りの体験談を目を輝かせて聞き入った。野元もこの川は初挑戦なのだ。 ●1993/5/4(晴れのちくもり)〜5日(晴れ)廻〜人吉〜球泉洞 朝靄の中を起き出した。近くのテントで朝御飯をたべていた、一人旅女性パドラー の宮沢友実枝嬢を招いて野点(のだて)をする。レギュラーコーヒーの香りが鼻孔 をくすぐった。 こぎたないオレに比べてこの宮沢さんの清潔なこと。女性って不思議だな。 コーヒーの湯気ごしにうっとり見惚れてしまう。(お許しください) しばし日本の川の情報交換。 昨日は川辺川を堪能したようで、今日は球磨川本流を下るとのこと。 こちらは、今日、川辺川を廻から人吉まで下って、明日、球磨川下りをやる計画 にしたので丁度入れちがいだね。うーん残念と笑いあう。 彼女を真ん中に、野元と3人で記念撮影。さよならの挨拶。 川旅でこんなに女ッけがあったのもめずらしいなあ。 野元はあいかわらず晴れ男で、2日間の川下りは最高のコンディションになった。 万感の思いを抱いて、2度目の川辺川・球磨川をほろほろと流れ下る。 野田さん轟沈地点で野元も見事な沈。ノモやんVSトモやんの軍配は引き分け。 終点の球泉洞前、川に渡された小さな鯉のぼり達が元気に泳いでこんにちわ。 五月晴れの中、笑顔、笑顔で川下りを終了。 ●1993/5/6(晴れのちくもり) 人吉〜西鹿児島〜桜島〜神子島 再び鹿児島へ。野元の実家にたちよる。 あつあげ、ビールで持てなしをうけ、その足で鹿児島湾へ出る。桜島へフェリーで わたるのだ。今日、東京へ立つ野元と、鹿児島ラーメンを食って別れた。 またの再会を固く近い会う。野元と別れた途端、天気が崩れはじめ厚い雲が増えた。 桜島の浜から、海岸線づたいに漕いで、南コ。5km沖の神子島に上陸。 島の北西の小さな浜にテントを張る。桜島が目前に大きく広がり大迫力だ。 ●1993/5/7(嵐)〔神子島停滞〕 一日中雨風が吹き荒れる。青い錦江湾でシーカヤッキングのつもりが、嵐にとじこ められてしまった。テントが吹き飛ばされそうになる。つまらないので歩いて島一周 にでかける。反対側は絶壁になっていて巻くのが大変だった。遠くに鹿児島の夜景を 眺めながら、大きな焚き火を造った。強風で大きな炎が轟々と真横に流れた。 5月8日(くもり) 風が落ちたので、桜島に戻る。温泉につかって疲れを癒し、鹿児島空港へ向かう。 長い長い、僕の黄金週間(ゴールデンウィーク)は終わりを迎えた。 ●あとがき 長いおはなしに付き合っていただいてありがとうございます。 あしかけ3年越しの話でかすれゆく記憶をたよりに書き上げました。 川辺川・野田知佑氏との出会いが中心となっていますがいかがなもんでしょう。 僕がファルトでの川下りを頻繁に行ったのは1991〜94年です。 川辺川はこの旅日記の翌年、1994年にオラオラ隊を全員集合して、川遊びを したり、長良川河口堰の淡水化強硬、対人柱作戦の漁船上で知り合ったダイバーと 五木村に足を延ばして綺麗な淵で泳いだり潜ったりした大好きな川です。 行く度に進む工事に、濁りゆく流れに、あと何年この川であそべるのか... 暗い気持ちになったのを覚えています。 海、山、そして海外へとフィールドを移していった僕は川から自然足が遠のいて いきました。もちろん昨年の長良川河口堰の一件も大きかったのですが。 逃げていたんです。国家あいての河川問題は結局泣き寝入りするしかないと、 力のない自分に気付いて自虐的になるのをごまかしていたんだすね。 最近、ニフティのネットワークを通じて、リアルタイムで情報が入るように なりました。川で出会った人々が、今この瞬間もがんばてっいるのを知りました。 河川をとりまく状況は確実に悪化して「ます。ほとんど絶望的です。 だけど、諦めていない人々がいる。 今年の5月16・17日と相模川シンポジウムに顔をだしました。 この旅で出会った、岡田さん、佐藤さん、倉重さんの姿がありました。 もちろん手弁当で参加の野田さんの姿も。 建設が進む相模川河口堰の橋脚を前にした岡田さんの言葉が、耳に焼きついて離 れなません。   『1%でも可能性があるかぎり、諦めません。がんばります』 あの台詞は闘い抜いてきた人のみができる言葉だ。僕は恥じた。心から恥じた。 僕にできることはなにか?小さいことからでも始めよう。署名。宣伝。etc... そして川旅日記。ほとんど個人的なこの日記を通して、僕の決意表明としたい。 相模川を守る会の方々、川辺川を守る人々、そしてパソコン通信で勇気とエネル ギーを与えてくれた方々のこのおはなしができあがりました。まとまりを欠いた 話で、たいした話じゃないですけれど(笑)。 ネパールでかかったA型肝炎が 僕に充分な時間くれましたし(笑)。これも天佑かもしれませんね。 自分の目で見ず、身体で感じなければ、心を動かされることは少ないですね。 どんどん遊びにでかけ、なにが正しく、なにが間違いなのか感じてください。 それではまた。                 1996.6.22夏至 病院のベットにて                    参考文献    『日本の川地図101』小学館   斉藤康一・矢野哲治 著                          野田知佑     監修         『国が川を壊す理由』 葦書房   福岡賢正      著