海がめレイチェル    松原 学 一、 ある朝、海かめのレイチェルが生まれました。 白くうすいからをやぶり、お母さんのうめたやわらかな砂からはい出します。 朝のまぶしい光がキラキラと水面に反射し、レイチェルは思わず、目をほそめます。 「あわー!これが海か」とかんげきの声をあげていると、何匹かの兄弟の亀はもう 浜を波打ちぎわに向かって走っています。  レイチェルもおくれまいとキラキラひかり、白く泡立つ波打ちぎわに一目散に走り 出します。  レイチェルの生まれた浜辺は「古浦(ふるうら)」という浜で、太平洋に面した小 さな入り江の中には古浦の浜を含めて、大小の浜辺があり、入り江を取り囲むように ある島のおかげで、波の静かなさんごしょうが広がるとても豊かなところでした。  レイチェルは見るもの聞くもの初めてで、こうふんしっぱなしです。  兄弟のかめはみんな入り江をはなれ、どこまでも広がる太平洋に泳ぎだしたのに、 さみしがりやのレイチェルだけは誕生以来、入り江のさんごの林を泳ぎ回り遊んでい ました。 入り江には青色がとてもきれいなコバルトスズメや黄色のチョウチョウオ、おどけ者 のハコフグなど、たくさんの遊び仲間ができました。 レイチェルは一人っきりで、大海原の太平洋に行くよりはこうして、たくさんの友達 と一緒にくらすことをえらんだのです。 ある日のこと、いつものようにさんごの林で遊んでいると、後ろの方から 「レイチェル。レイチェル」 と、レイチェルを呼ぶ低く優しい声が聞こえました。  レイチェルが振り返るとそこには、大きな海がめのおじいさんがいました。 「レイチェル、お前の兄弟は、もうみんな太平洋の大海原に散って行ったのに、なぜ 、お前は、こんなところにいるんだ?」 「だって、たった一人であの広い海にでるのはさびしいもん」 「いかん、いかん。もっと勇気をもって生きなければ。 さぁ、わしといっしょにこれから旅に出かけよう」  レイチェルはおじいさんと遊びなれた入り江をはなれ、青く深く、どこまでも続く 太平洋の旅にでました。  おじいさんは色々なことをレイチェルに教えました。  早く泳ぐ泳ぎ方、長い距離を楽に泳ぐ泳ぎ方、一気に深くもぐるもぐり方、中でも 、感心したのは、小さな音の聞き分け方です。  それは、音のする方にお腹をまっすぐに向けて、背中のこうらを反射板にしてお腹 で音を聞くやり方です。 はじめのうちは、ぜんぜん音を感じることができなかったレイチェルのお腹も、練習 してだんだんと聞こえるようなりました。 「あの高く低く聞こえてくる音はなんの音」 「うー、うんうんあれは鯨の歌声じゃよ」 こんどはシュルシュルといった音です。 「あれは」 「あれはスクリュウの音だ、海面の方で聞こえれば船だし、下の方で聞こえれば潜水 艦だ」 「スクリュウの後にブーンと言う音が聞こえたらすぐ逃げること、それは網を引いて いる音じゃからな」 「ハーイ。そして逃げる方向は音と直角の方向でしょう」 「よし、よし、それでいい」  二人は楽しく大海原を泳いで行きました。 冬のある日のこと、おじいさんはレイチェルに言いました。 「レイチェル、わしもだいぶ年をとってこのごろ心臓が時々止まるようになってきた 。 そこで南の海にある、ご先祖様の墓に行って少し休もうと思う。 レイチェル、一緒に来るか?」 「うん、おじいさんとならどこへでも行く」 「よし、じゃあ南の海に向けて出発じゃ」  レイチェルとおじいさんは南の海を目指しました。 南の海に行くには、黒潮という南から北へ流れる強い流れをさけて、海岸沿いを南下 して行きます。 二人並んで泳いでいると、突然目の前に大きな網が立ちはだかりました。 二人はとっさに深くもぐりましたが、網は海の底まで延びていました。 レイチェルはさっと左の沖の方へ網の壁に沿って泳いで行きました。 すると、海の中にギラギラと光る大きな大きな光の柱が見えました。 近づいてみるとそれは太刀魚の群でした。 太刀魚たちは、海の中を壁のように立ちはだかる網に沿ってぐるぐるぐるぐる回って いたのでした。 「おじいさん、私たち網に捕まったの」 不安げに後ろを振り返り、おじいさんに聞きました。 おじいさんは少しもあわてず、 「レイチェル、よく覚えておくんだよ、これがていちあみと言う網だ。こんな時には あわてずに落ち着くことだ。一度海の底の方から全体をよーく見てごらん」 レイチェルは太刀魚たちがぐるぐる泳ぎ回る輪の下の方から上を見上げました。 太刀魚たちのギラギラ光る柱の外に網の壁が見えます。 なるほど、太刀魚たちはその網の壁に沿っていつまでもぐるぐる回っているようです が、一カ所、網の壁がなくなっていました。 「あっ、おじいさん出口があった」 レイチェルはおおよろこびで叫びました。 「そうだよ、あの壁の間から、わしらはここに入ってきたんじゃ、あそこからでれば 良いだけのことじゃ」 「じゃぁなぜ、あの太刀魚さんたちはあそこから逃げないの」 「今の太刀魚には、あの網のすき間が見えていないんじゃよ。焦ったり、気が動転し ているとなかなか周りなどがよく見えないもの」 「ねぇ、おじいさん、太刀魚さんたちに何とか出口を見せられない?太刀魚さんたち もたぶんここから出たくてこんなにぐるぐる回っているんでしょう」 「んーん、よし、わしも年じゃからどこまでできるかわからんが、レイチェルおまえ も手伝え」 「はい。それで、どうするの」 「なーに簡単なことさ、ぐるぐる左向きに回っている回り方を右回りにするだけじゃ 」 「どうやって?」 「おどかすんじゃ」 「えっ」 「下からものすごいスピードであの群の中につっこむんじゃよ。するとびっくりして 太刀魚たちは泳ぐ方向をかえる。すると自然にここから出られる」 「わかった」 ふたりは、海の底から、まるでサメにでもなったように「ビューン」と太刀魚の群に 飛び込みました。 びっくりした太刀魚は、あわてて向きを変え逃げ出しました。 向きを変えた太刀魚は網の壁に沿っていつの間にか網の外へ出ていました。 レイチェルは何かうれしくなりました。 「おじいさん、よかったね」 「あぁ、わしらには楽しいことじゃが、この網の漁師にはちょっと困ったことかもし れんぞー」 二人は思わず、笑い出しました。 もう、だいぶ南に来ました。 おじいさんは、ときおり、何かぶつぶつ口の中でつぶやいていました。 「もう、まもなく、ご先祖さんたちの眠る墓じゃ」  おじいさんは言いました。 しばらく行くと、白く平らな海の底から、「にょきっ」とそびえ立つような岩山が現 れました。 岩山の上の方に、小さな洞穴のようなものが見えました。 「おじいさん、あれがお墓なの」 「あぁ、そうだ。あれがわしらのご先祖様をまつるお墓じゃ」 レイチェルがいろいろとはなそうとすると、おじいさんは静かに低く 「レイチェル、墓の前に行ったら、少ししずかにしておくんだよ。  そうでないと、大切な声を聞きもらすんでな」 レイチェルは少しきんちょうして、おじいさんの後をついていきました。 おじいさんは海の中の洞穴の前に来ると深々とおじぎをして、静かにその岩山の回り を回り始めました。 レイチェルもだまって、おじいさんの後につづいて岩山を回りました。 何周かした後で、また、おじいさんは洞穴に向かってふかぶかとおじぎをしました。 それから洞穴の中に、静かに入っていきました。 洞穴の中は薄暗くて、白い丸いものがぼぉっといくつもいくつもころがっていました 。 レイチェルが入ろうとすると、 「レイチェル、さぁ、ここでお別れだ」 と、レイチェルが洞穴の中に入るのを止めて言いました。 「わしは、しばらくの間ここにいる。  もし、わしに会いたかったら、次の満月がちょうど真上に来る頃、ここへおいで。  それともう一つ、それまで、しばらくここには近づかないでほしい。  わしの頼みを聞いてくれるかい?」 「わかったわ、近くで遊んでいるから。  おじいさん。私が遊んでいる間に遠くへ行ったりしないでね」 レイチェルの心配そうな顔をみつめて、おじいさんはにっこり笑いながら、 「あぁ、わしはどこにも行かないよ」 と、優しく答えました。 レイチェルはおじいさんの言いつけ通り、それからあの岩山には近づかないようにし て、南の島の白い砂やさんごの中で遊んで過ごしました。 しかし、夜になるとやっぱりさびしくて、月をみつめながら、 「早く大きくなれ、お月様」 と、波間にゆれながら空に浮かぶ細い月に向かって、お祈りをしました。 ようやく、満月の夜になりました。 まんまるの大きな月が東の海からゆっくりと登ってきました。 「早く登れ、お月様」 また、月に向かってお祈りしました。 さて、だんだんと月は天高く登って行き、もうすぐ真上に来ます。 待ちかねたように、レイチェルはあの岩山に急ぎます。 月の光が、カーテンのようにゆれながら、白い海底をてらしています。 「おじいさん」 「おじいさん、どこ」  レイチェルははじめは小さな声で、へんじが聞こえないので、だんだん大きな声で おじいさんを呼びます。 洞穴の中をのぞいたのですが、白く霧の中のようでなにも見えません。 すると、どこからか 「レイチェル」 と、おじいさんの声が聞こえてきました。 「おじいさん」 「レイチェル」 レイチェルは背中のこうらをあらゆる方向に向けて、その声の方向をさぐろうとしま した。 「レイチェル、むだじゃよ」  おじいさんの声はどの方向からも聞こえてくるのです。 「おじいさんどこにいるの」 「わしは、いまおまえの回り全体にいるよ」 「えっ」 レイチェルはなおも、おじいさんの姿を探しています。 すると、目の前に小さな小さな黄色く光るものを一つ見つけました。 小さな光の粒はいくつもいくつも、静かに岩山の洞穴から流れ出していました。 「レイチェル、わしはいま、この海全体にとけだし、やがてこの海全体に行きわたる だろう。この海と一緒になるんじゃ」  レイチェルは黄色く光る小さなものからおじいさんの声が聞こえてくるような気が しました。 「この光るものが、おじいさんなの」 「そう、それもわしの一部じゃ、そして、わしの全部じゃ」 「おじいさんどうしちゃったの」 「レイチェル、口を開けてごらん」 レイチェルが口を開けると、小さな光の粒が、レイチェルの口の中にすっぅと入って 行きました。 レイチェルはなんだか暖かいものが体の中に入ってきたような、とてもよい気持ちに なりました。 「さぁ、レイチェル。これでわしはいつもおまえのそばにいる」 「あっ、私の中からおじいさんの声が聞こえる。おじいさんは私の中にいるんだわ」 「そうじゃ、わしはいつでもここにいる。だから、勇気を出して、生きて行くんじゃ 」 「おじいさん」 もう、この目で見ることのできないおじいさんとこうしておなかの中でいつも自分を はげましてくれるおじいさん。レイチェルは、なんだかもう、胸がいっぱいになり自 然に涙がでてきました。 「おじいさん」 二、  それからどれくらいの時がたったのでしょうか。 レイチェルは少しの不安と大きな期待を胸に一つの浜辺を目指して泳いでいます。 レイチェルはこの年初めて、卵を生むため、あの生まれて初めて海を見た、古浦の浜 辺を目指していました。 広い広い太平洋の海から、まっすぐに迷うことなく、あの古浦の浜辺に向けて泳ぎま す。 ようやく、みみほげ島の横を通り、波静かな入り江に入ってきました。 と、岩場のかげから一匹のハコフグがひょうきんな泳ぎで出てきました。 レイチェルは子供の頃に一緒に遊んだあのハコフグのことを思い出し、たちどまりま した。 すると、ハコフグがレイチェルに近寄ってきます。 「君はレイチェルだね」 「やっぱり、あのとき一緒に遊んだハコフグさんね。私のこと覚えててくれたのね。 ありがとう、うれしいわ」 レイチェルは、うれしさとなつかしさとで胸がいっぱいになりました。 「いや、レイチェル、君と一緒に遊んでいたのは僕のお父さんかおじいさんか、もし かしてひいおじいさんかで、僕じゃぁない。でも、君がレイチェルだって言うことは わかるんだ。なぜか」  レイチェルはなにがどうなっているのかわかりませんでしたが、ハコフグは話を続 けます。 「君はあの古浦の浜で卵をうむためにここへ帰ってきたんだろう」 「えっ、なぜわかるの?」 「なぜか。僕にはわかるんだ」 「レイチェル、だけど、君が行こうとするあの古浦の浜辺はもうなくなってしまった よ」「えっ、浜辺がないって?」 「君が旅に出てからすぐに、あの浜辺は人間たちのせいで、堅い堅いコンクリートで うめつくされたんだ」 「えっ、そんな・・」  レイチェルは目の前がまっくらになりました。 「それじゃ、私のかわいい卵はどこにうめばいいの?」 レイチェルのおなかの中の卵たちが少し不安げに動いたよう気がしました。 レイチェルは自分自身に落ち着くように言い聞かせながら、おなかの中の子どもたち に向かって、「―大丈夫よ、心配しないでー」と無言で話しかけました。 レイチェルは気を取り直して、 「ハコフグさん、古浦のとなりの古江の浜に私、卵をうむことにするわ」 と言いました。  ハコフグは、だまって、顔を横に大きく振って静かに答えました。 「レイチェル、古江の浜もコンクリートの岸壁になったよ。はいの浜も今うめ立てら れている。もう、この入り江には、砂浜はなくなってしまったんだ」 「ごらん、昔はさんごでいっぱいだったこの海も、めっきりさびしくなっているだろ う。君の大の仲良しだったコバルトスズメもいなくなってしまった」 「なぜ。なぜ人間はあの柔らかい砂浜をかたいコンクリートで、一つ残らず埋めてし まうの」 「今の人間は、うすっぺらい紙切れにふりまわされて、僕たちとのつながりを忘れて しまっているんだ。 僕たち生き物はみんな、みんな、つながって生きていると言うことを忘れてしまって いるんだ」 「なぜ。なぜ、こんな簡単なことを、こんな大切なことを人間は忘れてしまったんで しょうか」 しばらくして、ハコフグは話しかけました。 「レイチェル、だけど君はこの入り江で卵をうみたいんだね。  どうしても、うみたいんだろう」 「ええ、どうしても」 「わかった何とかしよう。君のために、そして僕たち生き物のために、協力させても らうよ」 「ありがとう。ハコフグさん」  ハコフグは入り江中の魚やカニや貝や多くの仲間に声をかけ、レイチェルへの協力 を求めました。  一匹のボラがつぅーとやってきました。 ボラはじまんのジャンプ泳ぎで入り江のすみずみまで、レイチェルが卵をうめる場所 を探しました。 「レイチェル、今、入り江中の砂浜を探したけど、たった一つしかない」 「それはどこ?」 レイチェルとハコフグは同時に聞きました。 「えびす島の洞穴」 「えっ、えびす島の洞穴?」 「レイチェル、もう、この入り江には本当に砂浜がないんだ。  あの人間たちが、人間たちが・・」 ボラが今にも泣き出しそうに言いました。 「ボラさん、ありがとう。私、そこで卵をうむわ」 「よし、じゃ、えびす島へ行こう」  レイチェルとハコフグは入り江の奥にあるえびす島に向かい、ボラはそのことを入 り江中の仲間にしらせました。 えびす島の洞穴は、横幅が2メートルほど奥行きが10メートルほどでなるほど洞穴 の下は砂になってしました。 しかし、砂と言ってもすぐ下は堅い岩になっていました。 こんなところに卵をうんで無事に子ガメが育つのだろうかと、不安な様子のレイチェ ルにハコフグは 「大丈夫、何とかなるよ」 と、明るく言いました。  洞穴をよく見ると、洞穴には天井があり、雨にぬれることはないまですが、太陽の 光が奥までとどきません。 「お日様の光がとどかないと卵が暖まらないわ。どうしましょう」 不安げなレイチェルに 「大丈夫、大丈夫」 と、ハコフグは言うだけです。  夜になって、レイチェルは洞穴の中の砂を掘り、卵をうみました。 そして、優しく、祈りながら砂を卵にかけてやりました。 次の日の朝、卵が心配のレイチェルはそっと洞穴の近くに近寄ってきました。 すると、洞穴がキラキラとまぶしくかがやいていました。 「やぁ、レイチェル、やっぱり沖には行かず、卵を見守るつもりなのか?」 と、ハコフグがやってきました。 「あれは?」 「昨日の夜は、君は一人で静かに卵をうんでいた。そのころ僕らも寝ないで、考えて いたんだ。どうしたら、無事に卵を育てられるかを」 レイチェルが洞穴前まで来たとき、洞穴がかがやいている理由がわかりました。 たくさんの太刀魚が体を横にまっすぐのばして、あのきらきらした体を鏡のように利 用して、洞穴の奥まで太陽の光を入れていました。光は洞穴の天井の塩の結晶をてら し、まるでシャンデリアの様に、洞穴全体をまぶしくてらしていました。 「どう?少しは役に立ったかな?レイチェル」 一匹の太刀魚がレイチェルに聞きました。 レイチェルははっとして、 「もしかして、あのとき網の中で泳いでいた太刀魚さん」 と、聞き返すと 「君から助けてもらったのは、僕のお父さんかおじいさんか、ひいおじいさんかわか らない。だけど、君はレイチェル。僕にはわかるのさ。なぜか」 と、すましてこたえました。 「太刀魚さん、ありがとう」 「なーに、かるいもんさ」 と、気取って、すましてこたえました。 そこへ、空から水面の光を見つけたトビが、太刀魚めがけて急降下してきました。 とっさに、レイチェルは太刀魚たちの上におおいかぶさりました。トビの爪はレイチ ェルのこうらに二本のきずをつけ飛び上がりました。 レイチェルは叫びました。 「トビさん、やめて、ここにいる太刀魚さんたちをおそわないで!」  トビは、その声にこたえるように、近くの岩に舞い下りました。 「君はレイチェルだね」 「ええ、そうだけど、なぜ私の名を」 「なぜか、おなかの中からわかるんだ。君はレイチェルだって」 「…」 「すまない、つい、おいしいそうな太刀魚が目に入ったもんで、まことに、すまない 。以後、君のかわいい子ガメが生まれるまで、この洞穴の付近では、さかなをとらな いことにするよ、仲間にもこのことは伝える。  もちろん、カラスにもじゃまはさせない」 「トビさん、ありがとう」 それからまもなくして、満潮の頃となりました。満潮になっても卵はぬれないように と奥の方に卵をうめたのですが、近くを走る漁船の起こす大きな波が洞穴の奥の方ま で入って行くようになりました。 「あっ、大変、卵がぬれるわ」 「大丈夫、大丈夫」  ハコフグはいつもこればっかり 「おーい、レイチェル」 と、レイチェルを呼ぶ声が聞こえます。  見ると、海の底をのそのそとなまこのおじいさんがやってきました。 「いゃー、なかなか移動は大変だ」 「おぃ、見ていないでわしを洞穴の入り口の岩の間に運んでくれ」 と、なまこは言いました。 「よしきた」  ハコフグはなまこを口でくわえ、岩の間に運びます。 「こら、もうちょっと優しくくわえんか。わしの肌はデリケートなんじゃから」 「はいはい、ごめん、ごめん」  ハコフグはゆっくりと岩の間になまこのおじいさんをおろしました。 「わしらの仲間が、もうすぐいっぱい来るから少し待ってなさい。そしたら問題は解 決じゃ」 レイチェルは、なまこがどうして問題を解決するのかわかりませんでした。 「あぁ、レイチェル。今、大波でこまっているんだろう。大波は洞穴の入り口のこの 岩の間から入ってくる。じゃから、わしらがこの岩の間に重なりあって、堤防を作っ て大波から卵を守るんじゃよ。  いゃー、昨日の話し合いから思いついたんじゃが、みんな動くのが苦手ときている ので、ここまで来るのに時間がかかってしまったわい。  じゃが、もう安心じゃ。今、ボラたちがわしらの仲間をくわえて運んで来ている」 続々とボラがなまこをくわえてやってきました。 「おー、来たか、さぁさぁ、早速岩のすき間に入ってくれ、若い者、体の丈夫なもの がしたじゃぁど。  すき間に入ったら、ぴったりと寄りそうんじゃ、大波を通さないようにな」 おじいさんのかけ声通り、見る見るうちになまこの壁はできあがりました。 「さぁ、これで大丈夫だ」 なまこのおじいさんはほこらしげに言いました。 「なまこさんたち、ありがとう」 「なーに、かるいもんさ」  なまこの壁はいっせいにこたえました。  それから何日もすぎました。 みんなは力を合わせて、レイチェルの卵を守りました。 このほかにも、洞穴を守るためたくさんのウニが集まりましたし、夜、卵がかぜを引 かないようにとカニたちが砂の上に泡で作った布団をかけてあげたり、みんな思い思 いに手助けをしました。 そしてようやく、ある朝、洞穴の砂がかすかに動き出しました。 みんな、息をのんで見守る中、子ガメが砂から顔をのぞかせました。 「やっほぅ。生まれたんだ!」 ハコフグが叫びます。 「やったね」 すましたつもりの太刀魚は、水の中で銀色のわを作りよろこびます。 「ばんざーい!」  カニも両手をあげてうれしがります。 「おー、おー」 なまこのおじいさんはなんと言ってよいか言葉が出ずに、身体をぶるぶるふるわせて います。 子ガメは次々に砂の中からはいだし、海に入ってきます。 レイチェルは涙でぐしゃぐしゃになりながら、自分の回りを泳ぎ回る子ガメたちを見 つめていました。 「みなさん、本当にありがとう」 「なんと、お礼を言ってよいやら…」 レイチェルはあふれ出る涙でのどを詰まらせながら、お礼を言いました。 「なっ、なーに、かるいもんさ」  いままで感動のあまり口を利けなかった、なまこのおじいさんが、すかさず答えた のでみんな、どっと笑い出しました。 ハコフグに送られ、入り江の出口にあたる、みみほげ島の横まできました。 レイチェルが何かを話そうとしたとき、ハコフグはにっこりと笑って 「レイチェル、だいじょうぶだよ」 と、話し始めました。 「人間だって、僕たちと同じ生き物だから、きっと、いつか気がつくよ。  今まで、忘れていた、大切なことを。  僕たち生き物はみんなみんな、つながっていることを。  そのときには、あの堅いコンクリートで埋め尽くされた海岸も、きっと、もとの砂 浜にもどるだろう。  僕たちは、その日が来るまで、何とか生き続けていよう。  君も、君の生まれたあの浜で、いつか、卵が産める日が来るまで何とか生きてくれ 。  僕は、お別れは言わないよ。  だって、僕たちはつながっているんだから、 また、会える日まで、元気で」  話を終えたハコフグは、くるりと向きを変え、レイチェルの方を振り返りもせずに 、みみほげ島の自分の家に帰って行きました。 「ありがとう。ハコフグさん」  レイチェルは入り江に向かって、何か祈るように深々と頭をさげました。  そして、無邪気に泳ぎ回る子ガメたちを引き連れ、どこまでも続く、広い広い太平 洋の大海原に泳いで行きました。 おしまい。                   松原 学  manabu@aero.kyushu-u.ac.jp